2000年。札幌での一人暮らし生活が始まった。 大学生活でまずやりたかったのは,部屋にインターネットを引いてホームページを作ることだった。2ヶ月もしないうちに,ここ「Clearblue」は開設された。 当時住んでいた下宿は電話線が集中回線だったためISDNやADSLなどが扱えず,しかも3分15円という割り増しな電話代で33.6kbpsモデム接続をしていた。当時の小遣いでは月4時間がいいところだった‥。 同時にCG製作にも熱が入るようになり,デロリアンのCGも製作する。 ![]() (これが記念すべきCG第1弾。今公開している旧CGは実は第2弾。昔からHPを見ている方には懐かしい?) このときから,デロリアン・オーナーズ・クラブの会員に登録したり,DMC-Japanやデロリアンのファンサイトを訪れるようになり,徐々に情報を集めるようになる。 相場,現存台数,日本で維持していくための状況,etc‥これらの情報を見て,思ったのである。 「これは実現不可能な夢ではない」 残念ながら実家の家計がよろしいわけでもなかったため,成績優秀者を優先してもらえる大学の学部奨学金(半期25万,返済不)も大半は学費になり,とてもデロリアンの貯金ができる状況ではなかった。それでも私立の大学に快く行かせてもらった両親には感謝している。 4年になって就職も決まったあたりには,いよいよ車が必要になるということでセラを購入する。その辺りの話はセラ購入記を読んでいただくとしよう。 2004年,就職のために函館に越してくる。 家計簿を書きながら(大したものではない),コツコツとデロリアンのための貯金を貯めていく。 特にギリギリの生活をしていたわけではない。食費を削っても体調を壊すだけだというのは大学時代に立証済みだったし,実家のことを思えば贅沢な方と思う。 もちろん実家からヘルプがきたら貯金を削る覚悟はあった。「こっちでなんとかしていくから大丈夫だ。」という言葉をそのまま受け入れて,こちらから迷惑をかけないようにだけしていれば,お互い気をつかうことはないだろう?と解釈をされながら生活をしていく。 2005年,とあるデロリアンオーナー様からデロリアンを手放すという話を聞き,少しだけ交渉をする出来事があった。結局そのとき購入することはなかった。貯金がまだ中途半端だったのもあるが,自分のほしいタイプとは少しずれていたのが,自分が思っていた以上に思いとどまる原因となった。 それから数週間後,会社の出張で東京に行くことになる。 ゆりかもめに乗っているとMEGA WEBが目に入った。このときMEGA WABの存在を知らなかったため,仕事を終えた土日を利用してここを訪れてみることにした。 なんとここのヒストリックカーコレクションの1台としてデロリアンが展示されていたのだった。何も知らずに訪れたため,視界に入ったときは本当に驚いた。ここに展示されていたのは,映画と同じタイプのグレー内装&MT&中期型ボンネットであった。 ![]() ![]() ボンネットはともかく,自分の理想のタイプのデロリアンを目の当たりにして「やっぱりこれだ!」と自分の気持ちに確信を持つ。しばらく見入っていたため,飛行機の時間が迫ってきてしまい,フェラーリ・ディーノなどをほぼ素通りする羽目になった。(笑) ゆっくりと,しかし確実にデロリアン購入への瞬間は近づいている気がしていた。そして‥2006年。 |