編集後記 (一信徒が作るホームページ カトリック川越教会)

このページは著者の個人的な雑感をもとに構成しています。

最 新 号

2005年1月1日

 4カ月余りの間、突然に改訂をお休みしました事をお詫び致します。そうなった原因としては本人の健康問題や身内の問題など何点かあり、そうした事やそれに関わる雑事などが重なったからです。
 そして、その間にも、全国各地での風水害や新潟中越地震、更にはインドネシアで発生した地震とその津波などの世界的な災害もありました、ここに謹んでお見舞い申し上げます。
 戦後60年の還暦に当たる今年2005年もいよいよ始まりました。世界の平和、そして皆様のご幸福を心からお祈り致します。

「主を誉め讃えよ。主に向いて新しい歌を歌え。聖徒の集いで、主の誉を歌え。 」(詩篇149編第1節)



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2004年8月31日

 史上最大202の国と地域が参加した2004年アテネオリンピックも一昨日に終わりました。四年後のオリンピックは西洋文明の発祥地ギリシャから世界四大文明の発祥地である中国の北京へと受け継がれました。
 ご存知の様に中国文明は四大文明の中で唯一現代まで直接に続いている文明であり、日本を含めた東アジアの国々の文化の源泉で、ギリシャが西洋文明の源泉になっている事と面白い程の対比をしています。
 発展目覚しい現代の中国は台湾問題や少数民族問題、経済の地域格差といった多くの課題を抱えながらも、国力は大きく躍進しており、実勢では既に日本の3倍程度の経済力を保有しているとの試算もあるようです。
 しかし、ご存知の方には余談ですが、この中国ではローマ教皇の権威が及ぶカトリック教会の活動は全面的に禁止されて地下教会と呼ばれ、一方で政府公認の愛国教会が存在するという状態が長く続いております。
 これは共産主義国家である事と台湾問題がその原因ですが、こうした不正常な宗教政策をとる中国が今後の4年間でこれまでの政策を変更する可能性もあり、こうした事を踏まえて今後四年間の中国の外交政策を著者は注目しています。
 本来、政治とスポーツは別である筈ですが、同時に宗教と政治の関係の様に不可分のものでもあるからです。

「彼らの働きを思って、特に愛し敬いなさい。互に平和に過ごしなさい。」(テサロニケ人への第一の手紙第5章 13節)
著者注:テサロニケはギリシャの一都市で今回のオリンピック競技の会場の一つともなった。




2004年8月24日

 先週もオリンピックについて述べましたが、現在行われているアテネ五輪では日本人選手の大活躍によるメダルラッシュが驚きをもって内外で報告されているそうです。いわゆるナショナリズムに偏した見方をするしないに関わらず、同じ日本人として同胞の活躍は著者にとってもやはり嬉しい限りです。
 著者は先日、こうした原因の分析をしているテレビ番組を見ましたが、それによれば以前の日本選手は国家の為に日の丸を背負って参加しているという意識が強く、その為に却って余計に萎縮してよい成績を出せなかったのが、最近の選手は国家よりも自分自身や応援してくれたスタッフや仲間、家族の為に戦うと考える傾向が非常に強く、そうした事がオリンピックでの伸び伸びとしたプレーを生み、結果として好成績に繋がっているのだそうです。
 翻って、現代の日本のカトリック教会では組織の高齢化や信者・司祭などの数が増加していない事を嘆く声があります。しかし、信者の働きが減っているかと言えば、司祭や信徒は組織の為の催しや会議などの日常の負担が異常に多く、結果としてキリストが命じた筈の肝心の隣人の為、弱者や困っている人の為に働く事がないがしろとまでは言えなくとも、疎かにされがちになっているのではないでしょうか。
 これまでの様に教会組織の為の努力ではなく、真にキリストが求めた平和で公正な世を地上にもたらす為の本当の意味での取り組みこそが、言い方を代えれば自身を含めた一人一人への働きこそが日本社会から真に必要とされる教会に脱皮する為に今こそ必要ではないかと考える毎日です。

「あなたがたは、信仰のない人々と一緒に不釣り合いな軛に繋がれてはなりません。正義と不法とにどんな関わりがあるでしょうか。光と闇とに何の繋がりがあるでしょうか。 」 (コリントの信徒への第二の手紙 第6章 14節)




2004年8月17日

 西洋文明発祥の地ギリシャで108年振りにオリンピックが開かれ多くの競技がいままさに行われています。今回のオリンピックは時差の関係から深夜から未明に掛けて行われる種目が多く、寝不足の目を擦りながらの方もいらっしゃるのではないでしょうか?実は著者もそうした視聴者の1人です。
 今回、このアテネオリンピックの開会式ではギリシャの歴史を紹介する人々が生きた彫刻役でたくさん登場しましたが、ギリシャの歴史は4000年前まで遡れるそうで、実にその半分はキリスト教の歴史と期を一にしています。実際、新約聖書には使途パウロが2000年前にギリシャのアテネで宣教をした話もあり、パウロ自身、当時はギリシャの文化圏であった小アジア半島の出身で。更には古代から中世、現代に至るキリスト教神学がギリシャ哲学の流れを汲んでいる事もまた事実です。
 もっと言えば、古代ギリシャ文明やその後のアレキサンダー大王がもたらした大帝国の偉大な遺産の土台の上に現代の西洋社会を背景としたキリスト教文明が花開いたと言えるのです。
 話をオリンピックに戻しますと、古代オリンピックではギリシャの都市国家同士はこの開催には一時的に戦争を止めてまで、一同に会して競技を競ったのだそうです。しかし、現在の世界ではイラクやアフガニスタン、パレスチナなどの多くの紛争がこうした平和の祭典が行われる時にも休む事無く続けられています。
 そして、私達はオリンピックにおける平和の祭典の意味をもう一度問い直す必要があるのではないでしょうか。ちなみにパウロがギリシャの一都市であったコリントの教会に宛てた第二の手紙の初めと終わりは平和への祈りとなっているのです。

「私達の父なる神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。 」(コリントの第二の手紙第1章第2節)
「終わりに、兄弟達よ、喜びなさい。完全な者になりなさい。励まし合いなさい。思いを一つにしなさい。平和に過ごしなさい。そうすれば、愛と平和の神があなたがたと共にいて下さるでしょう。 」(同第13章第11節)




2004年8月10日

 本当に暑い夏になりましたが、皆さん如何お過ごしでしょうか。今年も広島・長崎の原爆の日が終わり、いま日本各地では帰省ラッシュや行楽ラッシュの真っ盛りでして、皆さんに移動中の万一の事故などのない事をお祈り致します。
 さて、こうした中で、私は最近になってイエスの教えについて考えさせられる事があります。聖書の中の特に福音書を読みますと、イエスは神への愛と隣人への愛の2つの教えを説き、また、完全な者になる事を問われて、その為には自分の持ち物を全て貧しい人に分け与えてから自分に従う様おっしゃいました。
 ところが一方で、私は「教会の為に働く」事を信者の義務とする考え方や風潮に行き当たり疑問に感じ、また、これは多分私1人ではないのではと思う事があります。実際には、こうした「教会の為に働く」事を義務とする考えは一見正しそうに見えても、実はこうした事を強調する事自体キリスト教の教えの上では大きな誤りと言えるです。
 なぜなら、キリストは決して御自分の為や教会の為に働く事を義務として弟子達に命じた事はなく、キリストが命じられたのはただ、弟子達が互いに愛し合い仕え合う事なのです。ですから、こうしたキリストの教えに反する事をあたかもキリストの教えであるかの様に言う事は、キリストの言葉を偽証したという意味でキリスト者にとって重大な罪と言わざるを得ないでしょう。
 歴史を振り返れば、個人の幸福よりも全体の幸福を重視する所謂全体主義が20世紀の前半には世界的に猛威を振るい日本・ドイツ・イタリアなど右翼的な全体主義が原因で第二次大戦が引き起こされ世界を破壊し多くの人の生命を奪いました。また、共産主義という左翼的な全体主義が同じ時期に発生し、旧ソビエト連邦や東欧諸国やアジア更には世界各地で左翼独裁政権を打ち立て、10年前にこれらの共産主義政権の多くが崩壊するまでの間、深刻な東西冷戦を引き起こし、また、朝鮮戦争やベトナム戦争などの多くの代理戦争がこの冷戦を直接間接の原因に引き起こされました。
 実際、歴史を紐解くまでもなく、また政治の世界だけではなく教会を含めた宗教団体も、もしも個人の幸福よりも団体の幸福を追求をその活動の目的とすればことごとく全体主義化し、更に目上の意思を絶対視して下の者を権力支配してカルト化する、といった重大で致命的な危険性を常に孕んでおり、これは決して私達カトリックであっても例外ではないのです。

「偽善者たちよ、イザヤは、あなたたちのことを適切に預言している。『この民は口先では私を敬うが、その心は私から遠く離れている。 人間の戒めを教えとして教え、無意味に私をあがめている。』」 (マタイ福音書第15章第7〜9節)




2004年8月3日

 今年の関東は例年になく梅雨明けが早かったせいか、随分に暑さが長く感じられますが、暦では8月に入ったばかりでして、まだまだ暑さはこれからというところのようです。また、先月下旬から今月に掛けて福島・新潟・福井など東北北陸各地の大雨や四国や中国での台風災害が続きますが、これら各地の被災者の皆さんに心からお見舞い申し上げます。実は私も北海道での子供時代に自分の家が床上浸水した経験があり、今回の事も決して他人事とは思えません。
 そして、マスコミによれば、今年はこうした異常気象、洪水や旱魃、猛暑や冷夏などが世界各地で起っているそうで、日本の洪水や最近の猛暑もこうした世界的な異変の一部と言えるそうです。また一部には、こうした原因を人類によって引き起こされた地球温暖化に求める意見もあるようですが、その事の因果関係はまだまだ明らかではないようです。
 当然ですが、人類の歴史において、何度もこうした異常気象はあったのですし、旧約聖書の世界では異常な気象は人類に対する神の試みと捉えていた様です。昨年は冷夏のせいで農業関係者は大変な年でしたが、今年も洪水や台風で一部の農業関係者は矢張り大変な思いをされているのです。
 私の教会でも被災地への募金がありましたが、皆さんも、是非、心ばかりの募金をお願いします。

日本郵政公社報道発表資料のページ
http://www.japanpost.jp/pressrelease/pres-home.html
各県の募金の窓口が判ります。

「(ヨセフ言った。)これは、先程ファラオ(エジプト国王)に申し上げましたように、神がこれからする事を、ファラオにお示しになったのです。 七年間、エジプトの国全体に大豊作が訪れます。しかし、その後の七年間、飢饉が続き、エジプトの国に豊作があったことなど、すっかり忘れられて、飢饉が国を滅ぼしてしまうのです。」(創世記第41章第28〜31節)




2004年7月27日

 キリスト教徒にとって、「主の祈り」はキリストが直接に弟子達に伝えた神への祈りとして非常に大切にされ、完全な祈りとも言われて、2000年間に亘って唱え続けれて来ました。以下は、その新共同訳といわれる日本語訳です。

マタイ福音書第6章第9〜13節
 天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。
 御国が来ますように。
 御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
 わたしたちに必要な糧を今日与えてください。
 わたしたちの負い目を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を赦しましたように。
  わたしたちを誘惑に遭わせず、悪い者から救ってください。

ルカ福音書第11章第1〜4節
 父よ、御名が崇められますように。
 御国が来ますように。
 わたしたちに必要な糧を毎日与えてください。
 わたしたちの罪を赦してください、わたしたちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。
 わたしたちを誘惑に遭わせないでください。

 ところが、主の祈りには上記の様に比較的長いマタイが伝える祈りと短めのルカが伝える祈りの二通りがあり、この事の解釈も古来より色々にされて来ました。しかし、現代での大方の考えは、これが記されている二つの福音書の目的の違いに原因があるとされるのだそうです。
 それによれば、キリストの12人の弟子の1人であったマタイはユダヤ人入門者の為に福音書を書いたので、より解説的に詳しく書いたが、一方のルカはキリストの直接の弟子ではなく当然キリストに会っていないし、また、ルカは異邦人の入門者の為に福音書を書いたので、先輩達から伝えられるそのままに主の祈りを記したのだという事です。
 ですから、この説の通りであれば、キリストが述べたのはルカの伝えた祈りであるという事になりますが、カトリックを含めた多くのキリスト教会では日々の祈りの際にマタイの祈りを採用しているのも面白い事実です。




2004年7月20日

 一昨日の日曜日、随分久しぶりに都内で開かれた演奏会に行って来ました。その演奏会は日本男声合唱協会が主催する全国規模もので、実は私も四半世紀も前の学生時代にメンバーとして参加した事があります。
 この演奏会は四部構成になっており、そのうちの全てで教会音楽が演奏されました。第一部はグノーのミサ曲第2番、第二部の北欧合唱集は最初がラテン語の旧約聖書を題材とした歌が一曲、更に第三部は御誦(おらしょ)という切支丹の祈りを題材にした曲、更に最後の第四部でも黒人霊歌の「深い川」が歌われ、2時間の演奏時間のうち7割位がこうした宗教曲あるいはそれを題材にした曲で占められました。
 各ステージとも200名余りの更には第四部は総勢で450人余りの大合唱でしたが、すみだトリフォニーホールという非常に大きな会場でしたので、違和感なく聴けた事も素晴らしかったと思います。
 また、日本のカトリック教会で広く使われている「典礼聖歌」の男声合唱譜が東海メールクワイヤーという男声合唱団から販売されており、その第1〜3集を購入出来たという意外な発見もありました。
 以前にも何度か記しましたが、私は2年前の交通事故の後遺症があり、片道一時間半ほどをかけて会場に行く事が出来るか、正直な処、全く自信がなかったのですが、三連休の中日という事もあって、首都圏の電車がいずれも大変空いており、殆ど座って行けた事も私にとっては大変に幸いでした。神に感謝!

「 典礼文の国語化に伴って、聖歌も国語化されることになりましたし、また古来の教会の伝承にもとづいて歌詞として詩篇が採用される事になったのは当然のことです。(中略)なお本書の発行は仕事の完成ではなくて、大きな未来への第一歩であることを確認しておきたいと思います。」(典礼聖歌序文 カトリック司教協議会 典礼委員長 長江惠 浦和教区(現さいたま教区)初代司教 ・故人」




2004年7月13日

 一昨日、参議院選挙が終わりました。結果は大方の予想通りで、日本の二大政党化が進んでいる事を裏付けている様です。たまたま、その日曜日のミサの後、川越教会主任司祭のシャールアンドレ神父様と選挙について少しお話しました。
神父様『もう、投票しましたか?』
私   『投票券を持っています。これから行きますが、神父様、私の代わりに行きますか?』
 神父様はフランス人で当然選挙権はありませんが、日本では自民党中心の政権が既に半世紀も続いている事を不思議に思われておられました。最も早く近代民主主義を確立したフランスでは政権が変るのは普通の事だからでしょう。
 そして、政権の交代は権力の腐敗を防止し、同時に国民に対する良い意味のサービスを提供する事になる訳で、仮に新しい政権が思った程の力がない時は、次の選挙で、また別の政権を選べば済む事なのです。
 今後、早期に衆議院が解散しない限り、現在の政権が2年間は続く事が今回の選挙で事実上決定した様ですが、これからの2年間は日本にとってどのような変動や変化があるのでしょうか。それは神のみが知る事なのかも知れません。

「主はこう言われる。『もし、私が昼と夜と結んだ契約が存在せず、また、私が天と地の定めを確立しなかったなら、私はヤコブとわが僕であるダビデの子孫を退けて、アブラハム、イサク、ヤコブの子孫を治める者を選びはしないだろう。しかし私は彼らの繁栄を回復し、彼らを憐れむのだ。 」(エレミア書 第33章第25〜26節 )




2004年7月6日

 先月の末、戦乱に明け暮れていた中東のイラクでは占領軍から暫定政府への主権委譲が行われ名目的にはイラク人自身の政府が発足しました。これで直ちにイラクの治安が解消される訳ではないでしょうが、一つの段階として、これを歓迎する向きが多いのもまた事実です。
 ただ、その一方でその後の治安維持に当たる多国籍軍に日本の自衛隊が法的な裏付けが不完全なままで加わる事が政府によってなし崩し的に既成事実化したのもまた由々しき事実です。なぜなら、自衛隊の根本的な役割を論ずる事無く、アメリカの要請に答える形での受身的な主体性のない参加だからです。
 実のところ、著者には軍備の必要性を全否定する考えはないのですが、それでも、冷戦構造が固定化した朝鮮戦争の段階で日本国内に展開していた米軍の不足を補う意味で発足した警察予備隊が発展したのが現在の日本の自衛隊であり、そうした冷戦構造が完全に解消した後においても、イラクでの米軍を自衛隊が補う同様のあり方に半世紀の時代の流れに逆らった歴史的な皮肉が込められていると思われるからです。
 因みに、7月11日日曜日は3年に一度の参議院選挙の投票日です。著者は教会のミサに行く前に途中の公民館の会場で投票する予定ですが、皆さんも大切な日本の将来を任せる政治家を選ぶ為に是非ともご自分の投票権を行使して頂きたいと思います。

「それで、兄弟達よ、あなたがたの中から、聖霊と知恵に満ちた評判の良い者を七人選びなさい。彼らにこの仕事を任せよう。 」(使徒言行録 第6章第3節 )




2004年6月29日

 ここの処、毎月の様に親しい方の訃報に接します。先週の月曜日に当たる21日にも私と共に長くグレゴリオ聖歌などを歌ってきた和田秀郎さん78歳(霊名アウグステヌィス)が急性心不全で亡くなりました。和田さんは勤め先だった防衛庁でもお仕事の傍らカトリック者の会であるミカエル会で活躍され、また、ご兄弟にも修道者がいるなど熱心な信者で川越教会でも聖歌隊長を務めるなどして指導的な立場で活躍されました。
 私は個人的にも良くして頂き、聖歌隊の催しはもとより、ブラスバンドの大会の見物をご一緒させて頂いたり、8年前に和田さんが叙勲された折には勲章を見せて頂いた事もありました。そして、それがお人柄から少しも偉振る処のない気さくな振る舞いに感嘆させられたものでした。
 たまたま和田さんからお借りしていた書籍が手元にあり、いま、それを眺めておりますが、それは1950年にローマのバチカンから発行された聖年の本で若い時代の和田さんがご自身ローマで求められたものです。いまとなっては大変に貴重なものですから、間もなくご子息にお返しする予定ですが、その後の半世紀余りでカトリック教会が大きな変革を経るなど、誰も当時は予想だにしなかった事でしょう。和田さんは戦前から戦後の日本の大変革とそれに続くカトリック教会の大変革の両方を体験された貴重な生き証人でした。ここに謹んで哀悼の意を表します。

「賛美歌や聖歌を聞きながら、甘美に響きわたるあなたの教会の声に感動し、なんとはげしく泣いたことでしょう。それらの声が耳のうちに流れこむとともに、真理は心のうちにそそがれてきました。そこからあつい敬虔の感情がわきだし、涙となってほとばしりました。そして涙を流しながら、私は幸福でした。」(聖アウグスティヌス『告白録』9、6、14」 )(著者注:アウグスティヌスは古代教会最大の司教にして神学者で後世に多大な影響を与えた。)




2004年6月22日
 関東では梅雨も半ばかと思っておりましたら、現在、台風6号が日本列島を縦断中です。各地で強風や高波、豪雨などの災害に遭われている方々に心からお見舞いを申し上げます。
 さて、来週の日曜日の川越教会では毎年の恒例となったインターナショナルフェスタ(国際交流祭)が予定されており、係りの人はその準備に余念がありません。天気が良ければ教会の庭がメイン会場となる事もあって、説明によれば当日は係りの人以外の自動車の駐車は全て禁止だそうです。ただ、私は2年前の交通事故の後遺症からバスや電車を利用して教会に来る事が困難ですから、特別に担当者に頼んで駐車場を確保しました。
 こうした行事では、どうしても進行に手間が掛かる為か、あるいは毎年の様に変る担当者が不慣れな為か、弱者に対する心配りが出来ない事が多いものですが、幸い、今年の担当者が私の良く知っている方であった為に幸いにも私は難を逃れたと言う処でしょうか。
 フェスタ当日が雲一つない晴天に恵まれる事も大切ですが、私はそれ以上に教会のこうした行事が多くの人の心を晴れ亘らせるものであってほしいと願う昨今です。更に言えば、教会こそが率先してこうした事を第一に考えて欲しいと言えば最も良いかも知れません。因みに、いまから3000年も前に書かれた旧約聖書の詩篇の中にも同様の事が記されています。

「あなた達はいつまで不正に裁き、神に逆らう者に好意を示すのか。弱者や孤児を公平に扱い、苦しんでいる人や貧しい人の権利を認めよ。弱い人、貧しい人を救い、悪しき者の手から助け出せ。」 (詩篇第82篇第2〜4節)




2004年6月15日
 今年の関東は入梅後、まとまった雨が降っていますが、その一方で晴れた日には湿度が低く、例年の湿った空気がない為に余り梅雨らしい感じがしません。梅雨のない北海道を除いた各地の皆さんの地方ではどうでしょうか。
 さて、話を聖書に転じて、古代イスラエルの民は僅かに草の生えた草原を移動する遊牧民でしたから、家畜と共に草や泉を求めて放浪を続けました。意外に知られていないのですが、フォークソングとして有名なマイム・ベッサンソは泉を喜ぶイスラエルの民が歌う旧約聖書を出典としたユダヤ語の歌です。皆が輪になって踊る事からも水を得た時の喜びの大きさが知れるのです。
 しかも、こうした中東の姿はテレビなどでも見る事が出来ますから、現在も昔も余り変らずに思えますが、実はこの辺りは元々は砂漠や草原ではなく、今から一万数千年前には何と水辺の生き物であるカバやワニ、更にはライオンやヒョウなどの猛獣が住むジャングルであったそうです。しかし、気候の急速な変化によって、次第に草原や砂漠となって行き、当然、豊かなジャングルで狩猟生活していた当時の人々は獲物や木の実を得る事が難しくなりました。
 ただ、面白い事で必要は発明の母と言いますが、こうした砂漠化が原因で食糧難となった人類は食料を自ら生産する農業や畜産を発明し、こうして文明世界が始まったと言われています。人類最初の作物は野生の小麦や大麦であった様で、実際に作物として栽培化された一万年前の原始的な小麦が旧約聖書の中でも古い町として登場するエリコの旧市街の廃墟の遺跡から出土しています。
 因みに文化は英語でカルチャーと言いますが、同時にこの単語には農地を耕すという意味があるのも、また興味深い事実です。

「見よ、神は私の救い。私は信頼して、恐れない。主こそ私の力であり、私の歌であり、私の救いとなられたからである。私達は喜びのうちに救いの泉から水を汲む。 」 (イザヤ書第12章第2〜3節)




2004年6月8日
 我が家には猫が一匹います。彼女は推定10歳の雄猫並に大きな雌のとら猫で、今から3年前、放浪の果てに病気と怪我で死にそうになったところを私の妻の命令で私が待ち伏せして捕まえて、その後は大切に治療をしてから、彼女は我が家に住み着く様になりました。我が家に来る前の約7年間はどうしていたのか分かりませんが、中々、しつけと育ちの良い猫で今では我が家の主猫として君臨しております。
 ちなみに、聖書には犬やライオンは登場しますが、猫は登場しない様で私はとても不思議に思っています。なぜなら、旧約聖書の時代にイスラエルの民が住んだエジプトには立派な猫達が神様として飼われていたからです。農業を主としたエジプト文明において、農作物をネズミから守る貴重な生き物として猫は大切にされ、人間と同じ様にミイラにして弔う事さえあったのです。あるいは、偶像や多神教を嫌ったイスラエルの人々がその代表選手であった猫達を真っ先に聖書の中から追放してしまったのかも知れません。
 今、我が家の主猫とらちゃんは人間で言えば60歳以上の高齢の為に腎臓が悪くなり、特別な栄養制限食を食べていますが、
猫の医学の本によれば、そうした食生活の措置によって、最近の猫の寿命は飛躍的に延び、17〜19歳位まで生きる事も普通になって来ているのだそうです。
 実は、どうして、突然、猫の話になったかと言いますと、このとらちゃんの悪戯でパソコンが故障し2万円余りの修理代と改定の遅れが発生した事を皆さんにお伝えしたかったからです。そして、その原稿を打ち込む私の脇でとらちゃんは何事もなかったかの様に満腹のお腹でオネンネの最中なのです。

「『園に入る為に身を清め、自分を聖別し、その中にある一つのものに付き従い、豚や忌まわしい獣やねずみの肉を食らう者は、ことごとく絶たれる。』と主は言われる。 」(著者注:ねずみは豚と共に汚らわしい動物と言われていた。) (イザヤ書第66章第17節)




2004年6月1日
 今日から6月に入りました。ここ数日、関東では真夏を思わせる様な暑さが続いています。何と昨日には同じ埼玉県内の熊谷では35度を記録した程でした。そう言えば、著者が初めてヨーロッパ巡礼に行った9年前も暑い年で、この年のヨーロッパでは連日40度近い日が続いていましたので、同じ巡礼メンバーの中にも、巡礼の途中で熱中症でダウンして救急車で運ばれた人も居たのです。
 その時のメンバーの一人、アンナ中村静江さんが亡くなったとの知らせが昨日私に届きました。中村さんは古都金沢の出身でその地で洗礼を受け、その後、息子さんの仕事の関係もあって、金沢に家を残しながらも遠路、川越に住み着いたのです。
 その時の巡礼団長だった当時の主任司祭のラバルト神父様は3年前の5月に亡くなりましたが、その亡くなる7日前に中村さんと私はラバルト神父様といっしょに中村さん手作りのお弁当で楽しく食事をしていたのです。
 これで当時の巡礼団の20名のメンバーのうち3人がこの世を去りました。しかし、私達の心の中には、その時のままの姿で3名の方は生き続けているのです。
 余談ですが、いまから400年前のキリシタン大名高山右近は棄教を拒んで豊臣秀吉に領地を没収された後、金沢前田家の客将となり、豊臣徳川連合軍による小田原城攻めの時には北条方の守る川越城を落城させた歴史があります。

「主は私達にこう命じておられるからです。『私は、あなたが、地の果てにまで救いをもたらす為あなたを異邦人の光とした。』異邦人らはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美して、永遠の命を得るように定められた人は皆信じた。こうして、主の言葉はこの地方全体に広まって行った。 」 (使徒言行録第13章第47〜49節)




2004年5月25日
 これも昔、私がある経験豊かな司祭に教えられた事ですが、教会の主任司祭は信徒の前では常に公平でなければならないのだそうです。しかし、司祭も当然一人の人間ですから、人の好き嫌いもあり、また、これまでの付き合いの関係から、世話になったり共に協力し合ったりした事のある信徒の肩を持ちたくなるのは普通の人情であり、こうした事だけでも教会の中で公平を実行するのは決して容易な事ではありません。
 ただ、これは実際にある話なのですが、自分が務める教会の信徒間で何かの意見の対立があった場合、もし司祭が自分に近い立場の信徒の意見を一方的に取り上げるというような事が一度でもあれば、意見を取り上げられなかった信徒は、直ぐに、その司祭が偏った不公平な人物であると多くの人に訴え、当然、他の多くの信徒に、この司祭の不公正な行動が伝わって、その多くが司祭を信用しなくなるという現実に直面するのです。
 ただ、それでは意思を堅くして司祭が公平を実行してみても、普段司祭に近い信徒の立場に視点を変えて見てみると、司祭は日頃自分の協力を受けているのに、肝心な時には自分の為に働いては呉れないという事になるので、今度は司祭がこうした日頃協力関係にある信徒から裏切り者扱いを受ける可能性も同時に存在する訳です。
 こうして一言で公平と言っても、この様にどちらの側にも偏らない事での大きな困難がありますが、もし、それを実行しなければ、司祭は更に多くの困難に直面する事になるようです。そしてもし、この事の特効薬があるとすれば、その司祭が真の意味での理解者・協力者を信徒の中に一人でも多く見付け出す事だけなのだそうです。

「主は正しい人の為に知恵を、誠実に歩む人の為に盾となって、守って下さる。(主は)裁きの道を守り、その慈しみに生きる人の道を守られる。その時、あなたは知るだろう。正義と裁きと公平は全てを幸いに導くのだと。」 (箴言第2章第7〜9節)




 
2004年5月18日
 以前、知り合いで年配の司祭に伺った話ですが、明治時代には神奈川県のカトリック教会(その後、境界変更で東京都に移管)では毎年、全信者に対して公教会要理つまりカトリック教会についての知識を試験していたそうです。これは現在も行われる事のある洗礼志願者対象の試験とは大分意味が違います。それは明治という広くキリスト教が邪教あるいは邪宗門と見做された江戸時代の直後の世にあって、また、多神教一色の世界だった日本にあって、正統な信仰を維持する為に必要な事だったのでしょう。こうした試験がその後何時頃から行われなくjなったかは判りませんが、現代の日本のカトリック信徒は果たして明治時代の信徒程に教会に対する知識を持っているのか?一瞬、著者は大きな疑問を持ちました。
 話は変りますが、現代の企業では人事考課の方法も随分と様変わりをしたそうです。以前は上司が何人かの部下に対し自分の考える評価を一方的に点数化するのが普通だったのが、いまでは、評価を対象の部下と一対一の面談をしながら行ったり、更には複数の部下が逆さまに上司の人事考課を行う所まであるそうです。実際、良く言われる上司と部下に挟まれて苦悩する中間管理職というのは空想上の神話に過ぎず、真実は上の者程安泰で、無能や無理解な経営者や管理者に悩まされる続ける弱い立場が平社員なのだというのが、多くでは本当の実態なのだそうです。
 さて、ここで、この論理を教会に当てはめると、一般の信徒が自分の所属する教会の主任司祭を評価し、その主任司祭が上司に当たる教区長を評価する事になります。では、皆さんは、こうした事が現実の教会で可能であるとお考えになりますか?
 ちなみに宗教学では上の者(指導者)が下の者(信徒)を指導し、それに対して下の者が疑問や批判を持てない体質の宗教をカルトと定義するのだそうです。

「(律法学者とパリサイ人とは)宴会の上席、会堂では上座を好み、広場で挨拶される事や、『先生』と呼ばれることを好む。しかし、あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの先生は一人だけで、あとは皆兄弟だから。」 (マタイ福音書第23章第6〜8節)




 
2004年5月11日
 一昨日の5月9日の日曜日は前の川越教会主任司祭ローラン・ラバルト神父様の3回目の命日でした。教会では追悼のミサが行われ、ミサ後には2キロ程離れた教会墓地でも追悼式がありました。師の人となり等については当サイトの特集のページで詳細が判りますので割愛しますが、既に充分に過去の人となった筈の今も生きておられた時と同じ様に人々から愛され続けている事は紛れもない事実なのです。
 そして、そうした理由も一言では言えませんが、特に少数民族であるバスク民族としての血と侵略者であったフランスの国籍を持つ多文化性が並みの欧米人とは異なる適応力を発揮し、更なる異文化の国、遠いアジアの日本で花開いたという言い方が出来るのではと思います。
 師が亡くなった直後から始めた特集のページも3年が過ぎ、これまでに師を知る方からも知らない方からも幾つもの感想を頂いており、著者は今後、どの様な形で、このページを続けて行こうかと思案する毎日なのです。

追悼に 天もマリアも 皐月雨

ラバルト師3周忌の墓参にて

「私(イエス・キリスト)の名の為に、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報酬を受け、また永遠の命を受け継ぐであろう。」 (マタイ福音書第19章第29節)




 
2004年5月4日
 3日前から5月に入りました。古来よりカトリック教会では皐月マリアと言って今月をマリアの月と定めています。これはキリストの誕生を記念するクリスマスから逆算して、キリストがマリアの胎内に身籠った後、洗礼者ヨハネの母親でマリアの親戚に当たるエリザベトを訪問したとされる時期に当たる事から来ている様です。
 さて、私達の川越教会では今年もそうですが、例年この月のミサの中で「カトリック聖歌集」という聖歌集の中からマリアを讃える複数の聖母月の歌を週替わりで歌ってきました。この古い聖歌集は前身の「公教聖歌集」が1948年に出版され、その後、カトリック聖歌集と名称変更され、中身も若干の改訂を見てはいますが、既に使われ出してから50年以上経過した聖歌集です。
 当然ですが、その後の半世紀余りの間に複数の新たな聖歌集が出版された為、この聖歌集を使わなくなった教会も随分多くなったと聴きますが、この聖歌集には歌詞や旋律の優れた曲が多数含まれており、また、自然を歌った季節感がある曲も多く、多くの信者にとって捨てがたい不思議な魅力を持っています。
 ちなみに著者は、この聖歌集の出版所が出身地である札幌のしかも、昔、曽祖父母が洗礼を受け、また親戚がいまも籍を置く教会の敷地内にある事、新旧の版が著者が生まれる前後になる事などもあって、否が応でも親近感を覚えずには置けない聖歌集なのです。
 また、当然ですが、教会の典礼で使われる聖歌の選定は相応しいものである限り完全に任意であり、また、選曲が多様であればある程、教会典礼の豊かさが一層増す事はいまさら言うまでもない事でしょう。

「そこで、マリアは(エリザベトに)言った。『私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主なる神を誉め讃えます。 』」 (ルカ福音書第1章第45〜46節)




 
2004年4月27日
 先週は私の教会で残念な事がありました。昨年の私の入院と手術の時、たまたま同じ病院で少し前にすい臓ガンの手術を受けていた中野洋治さん(霊名アロイジオ)が亡くなったのです。手術からは11ヶ月後、また数年前に会社を定年退職され、前後して初孫も生まれ、これから老後を楽しもうとしていた矢先の事でした。手術前の中野さんは回りにそれを隠していた様で、私も遅れて入院して病院の中でバッタリ会うまで全く知りませんでしたが、いまとなっては、同じ病院仲間の死は私にとっても大変にショックな出来事です。
 亡くなった中野さんは教会では典礼部長など主にミサ等の手伝いの仕事をされ、長くミサの中で聖歌を独唱している私もお世話になっていました。数年前の事ですが、初孫が生まれたと聞いた私が「これで、おじいちゃんですね。長生きすれば、きっとひ孫の顔も見られますよ。」と言うと、中野さんは「いやいや、そんなに長生きしませんよ。」などと言いながらも満更でもない様子でにこりとお笑いになりましたが、図らずも、その言葉が的中してしまった訳です。中野さんの若過ぎる死に、心からご冥福をお祈り致します。

春の陽か 風が散らすか 八重桜

2004年春、中野洋治さんの早過ぎる死を悼んで。

「(誰でも)生きている者は少なくとも自分がやがて死んでいくという事を知っている。しかし、死んだ者はもう何ひとつ知ず、もう何の報いを受ける事もなく、やがて、その名前は忘れられていくのだ。 」 (コヘレトの言葉第9章第5節)




 
2004年4月20日
 今日で今年の復活祭から10日余りが経過して、慌しかった世界各地のキリスト教会も少しづつ普通の状態を取り戻て来ていると思います。たまたま、その先日の聖週間に私はある体験をしました。そこで、今回はその事を少し考えてみたいと思います。
 不幸にも私は二年前に交通事故の被害者となって重症を負い、それが原因で昨年には首の大手術を受け、現在も社会復帰が出来ずにいます。ただ、幸いな事に私には配偶者が居り、また、住む家もありますから、生活は苦しいですが、すぐに路頭に迷う訳ではありません。そして、昨年のクリスマス頃から不自由な身体を押して何とか日曜日の集会にも復帰しましたが、矢張り、無力な私は社会的な地位も金もない一人の貧しい人間でしかありません。
 ところが、そのような困難な状態の私に対する悪口を影から盛んに言っている人間が教会の中にいる事が聖週間に判ったのです。しかもその人は、いまから5〜6年も前の出来事を全く事情も知らない相手に対し一方的な言い方でしているのです。誰もが感じるのでしょうが、大きな事故とその後遺症によって精神的にも肉体的にも打撃を受けている人間に対してそのような卑劣な行いをするのは悪魔の仕業に違いはないでしょう。
 しかも、自分の社会的・教会的な地位を傲慢にも誇りにし、肩で風を切って歩く人間が同時にそうした愚かさから無実の他人を裁いている実態がキリストの教会の中に一つでもあるとしたら、これは間違いなく恥ずべき事でしょう。大企業や社会的な地位のある職業に就いている、あるいは過去に就いていた、資産家である、家柄が良い、更には自分の身内に司祭や修道士がいるなど、その人本人の信仰とどれ程の関わりを持つのでしょうか。
 「その人が救われるかどうかは、その人の行い(上辺の事)によってではなく、その人の信仰(内面の事)による。」宗教改革を始めたルターはこの様に述べています。皆さんは、これをどうお思いになりますか。

「イエスは彼らに言われた。『私の食べ物とは、私を遣わされた方の御心を行い、その業を成し遂げる事である。 』」 (ヨハネ福音書第4章第34節)




 
2004年4月13日
 一昨日はキリスト教最大で最古の祭典である復活祭でした。この祭日は新約聖書の中の4つの福音書や使途言行録に由来する典礼行事でキリスト教が始まった2000年前から存在し、更には、その原形を更に1200年も前のイスラエル人のエジプト脱出に由来する過ぎ越しの祭り(ハヌカー)に求める事が出来ます。
 典礼では木曜にキリストと12人の弟子との最後の晩餐、金曜にキリストの十字架の受難と死、土曜の夜にキリストの死からの復活、そして日曜の朝に空になったキリスト墓を喜びのうちに祝います。
 欧米などキリスト教国では、この間は休日となる為に、信者がミサに参加するのは易しい事ですが、日本など非キリスト教国では普通の週である為、この間の毎日の典礼への参加はなかなか難しいのです。
 しかし、私が籍を置く川越教会では今年は特に多くの信者が連日集まりました。 そして、典礼の中でイラクの日本人拉致事件の解決など世界の平和が祈られたのも言うまでもありません。

「 (イエスは言われた。)私はあなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。私があなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。互いに愛し合うならば、それによってあなたがたが私の弟子であることを、皆がお互いに知るようになだろう。」 (ヨハネ福音書第13章第34・35節)




 
2004年4月6日
 一昨日は枝の主日といってキリストがエルサレムに入城した事を記念する祝日でした。そして、長かった四旬節がこの日で終わり聖週間に入りました。こうして、いつまで続くかと思っておりましたこのサイトもこれで5年目を迎えました。その中で購入したばかりのパソコンが故障して2ヶ月程改定が出来なかった事と病院に入院し手術を受けた為に半年間も改定をお休みした事が一度づつありましたが、それ以外は何とか大過なく過ごして来れたと思います。
 現在も身体の回復が思わしくない為に自宅療養を続ける私ですが、最近になって大きな出来事がありました。自宅に数百年も前のキリシタン遺物の品々が遣って来たのです。これらは偶然にも21世紀の私の前に姿を現し、何かを訴えているようです。そこで、私はこれらの画像を撮り、古い昔の資料を調べてデータ化し、インターネットで皆さんに公開する事にしました。まだ、サイトは試行期間中ですが、以下がそのURLです。(その後、4月11日の復活祭より本運用に入りました。)

キリシタン遺物ホームページ http://47.tok2.com/kawagoe-saitama/kirishitan/

 これによって、皆さんにキリスト教が公認されるまでの長い間の隠れキリシタンの思いを少しでもご理解頂ければと、ささやかながら思っております。御意見、御要望をお待ち致します。

「 私を罵る者は敵ではありません。もしそうなら忍ぶ事が出来ます。私を憎み高ぶる者はあだではありません。もしそうなら身を隠して避ける事が出来ます。」 (詩篇第55篇第13節)




 
2004年3月30日
 これまで、カトリック教会の聖歌や言語について述べて参りましたが、今回は最も伝統的とされているグレゴリオ聖歌のついて述べたいと思います。この歌は近年、修道院で出したCDがヒット曲となったりして、広く一般の人にも知られる様になりました。 このグレゴリオ聖歌は単旋律の主にラテン語の聖歌の事で、古く紀元前のユダヤ教以来の伝統を持ち、古代・中世からバロック期まで必要に応じて長く創作され使用され続け、1960年代の第二バチカン公会議の典礼憲章でもローマ典礼の第一位の聖歌と定められています。
 しかしながら、日本を含めた多くの国では同じ第二バチカン公会議によってミサの自国語化が行われた結果、実際には歌われる事が殆どなくなってきました。そして、こうした伝統的な聖歌が使われなくなる事を惜しむ声がある反面、意味の分からない歌を歌う理由がどこにあるのかと主張する声もまたあるのが事実です。典礼における伝統と革新、この一見合い反する事をどの様に調和させるのか、これが現在の教会の課題であるのもまた事実でしょう。
 そして、関東では桜の花の季節を向かえ、教会の暦も来週からいよいよ聖週間に入ります。

「ハレルヤ。新しい歌を主に向かって歌え。主の慈しみに生きる信者の集い(教会)で賛美の歌を歌え。 」 (詩篇第149篇第1節)




 
2004年3月23日
 先週はカトリック教会におけるラテン語の使用について述べましたが、今週は誤解がないよう補足をさせて頂きます。ローマ典礼を行うカトリック教会の共通語はいまだにラテン語で、公文書などは全てこの言葉で書かれるのすが、実際の処、この言葉が教会の当初から使用されていた訳ではありません。当然ですが、キリストの時代つまり今から2000年前にはキリストやその弟子達は日用語としてはアラマイ語という現代のシリア語に近い現地の当時の言葉を使用し、同時に典礼においてはユダヤ教徒が今でも用い、また旧約聖書の言葉でもあるヘブライ語を使用していました。
 しかし、キリストの死後すぐに、キリスト教会が地中海世界全体に広がると、中東を除く多くの教会では当時の共通語であるギリシャ語が使われるようになります。更に、ローマ帝国の治世が長くなりギリシャ語が判らない人が増えると、今度はラテン語を使用するようになります。しかも、教会でのラテン語の使用は5世紀の初めに北アフリカの教会で始まり、ローマの教会でラテン語を使用する様になるのは、それよりも大分、おそらく半世紀は後になるのです。
 こうした言葉の使用の変遷は、全て人々の必要の上に成り立つものでした。典礼の言葉が分からなければ、当然ですが、信仰を成り立たせる事は出来ない筈だからです。しかし、6世紀半ばのローマ帝国の崩壊の後にラテン語が人々に次第に使用されなくなっても、もラテン語は1400の長きに亘ってローマ典礼を行う教会で独占的に使われ続けました。これはラテン語がイタリア語は当然ですが、更にフランス語、ポルトガル語、スペイン語などのロマンス系の言語の元となり、また、英語やドイツ語などのゲルマン系の言語にも大きな影響を及ぼした事を抜きには説明出来ないでしょう。

「その(天の)響きは全地に、その(天の)言葉は世界の果てに向かう。そこ(天)に、神は太陽の幕屋を設けられた。」 (詩篇第19篇第4節)




 
2004年3月16日
 ここ一月程、典礼における詩篇の役割や第二バチカン公会議について述べてきましたが、ここで多くの誤解の元となっている教会におけるラテン語と各国各地の言語の使用について一言述べたいと思います。 信者未信者に係わらず多くの人は40年前の第二バチカン公会議によって典礼がラテン語から自国語である日本語に完全に改められたと思っているようです。しかし、実際には自国語での典礼も公に認められたという事であって、教会におけるラテン語の共通語としての位置付けが変わった訳ではありません。反対に多国籍の信者が参加する典礼ではラテン語を使用する事が定められてさえいるのです。
 この事は聖歌においても同様で、古くから主にラテン語で歌われるグレゴリオ聖歌は第二バチカン公会議によってローマ典礼における首位の聖歌と位置付けられています。ですから、教会ではミサ通常文や固有文の主要な聖歌ならびに一般聖歌のうちの主なものをラテン語で信徒が歌える様に努力しなければならない筈で、バチカンはその為の楽譜までも出版しているのす。しかし、そうした事は正しい筈にも係わらず、今の日本の教会でそうした事を言う人が極少数派となっているのも、また不思議な事実なのです。

「(神の)御言葉が開かれると、光が射し出でて、無知な者にも知恵を与えます。」 (詩篇第119篇第130節)




 
2004年3月9日
 先週はカトリック教会のミサ聖祭が単なる礼拝ではなく、神と人との交わりであるという事の意味について簡単に述べました。そして、これは古来の教会から現代まで実際にそうだったのですが、これがはっきりとした形で分かる様になったのは、古代の教会を除いては実は40年前に行われた第二バチカン公会議以降からなのです。
 それまでのローマ典礼ミサは大部分がラテン語で唱えられているにも係わらず、本当の意味でラテン語を理解する人が殆どいなかった為、また典礼に当初からは無かった部分が幾重にも付け加えられ構成が煩雑になっていた為に、参加者はミサ聖祭が単に神に向かった礼拝なのだと考えるのが普通の事でした。更に、こうした事は司式をする司祭であっても決して例外ではなく、本来のミサ聖祭の意義(神と人との交わり)を大きく損なわせていたのです。
 しかし、第二バチカン公会議の後、典礼の中から後世の付加の大部分が取り去られ、より本質的な部分が分かる様に典礼の形が改められ、また同時に、必要に応じて各国語・各地語での典礼が認められた為に、誰にでもより理解のしやすい形になったのです。ただ、40年前以前に学習した古い信者には(これは司祭でも、しばしば同様ですが)表向きの形は刷新されても、こうした典礼改革の本質を理解せず、それまで通りの一方的な礼拝といった考えでいる事があり、これが真の教会理解を妨げているのもまた事実なのです。

「人は言う。『神に従う人は必ず実を結ぶ。この地を裁かれる神はいます。』(著者注:この表現は聖書の言葉は、すなわち神の言葉であるとのユダヤ教以来の信仰と思想から来ていると思われます。)」 (詩篇第58篇第12節)




 
2004年3月2日
 日本の多くのプロテスタント教会では特に日曜日の集会の事を礼拝と言う事が多い様ですが、カトリック教会の場合は礼拝とは余り言わずミサまたはミサ聖祭と言います。このミサの語源はラテン語で集会の終わりを表す「イテ・ミサ・エスト」から来ているのですが、実はミサと呼ばれるのは中世になってからで、その前の古代教会では「パンを割く式」と呼ばれていた事が新約聖書の使徒言行録の中に出て来ます。
 そして、これは私見なのですが、日本語の礼拝という言葉は神様や仏様を人々が礼し拝むという意味で、人々から神仏への一方的な姿勢や態度を表すイメージとなるでしょう。しかし、ミサ聖祭は神と人との相互の交わりと言う事が出来るのではないかと思います。その端的な例が聖書を集会の中で読む事は神が朗読者の身体を借りて、会衆に直接語り掛けであるとされている事であり、また、聖餐式でキリストの身体となったパンを信者が分け合い神と一つとなる事でしょう。
 そして、この相互の交わりを最も良く表しているのは旧約聖書と新約聖書の間の答唱詩篇と言われる部分でしょう。ここではまず答唱と言われる部分で会衆が神に向かって歌い、神が独唱者の身体を借りて詩篇を歌い返します。こうして歌によって神と人とは交互に交わり、より新たな教会へと進んで行くのです。

「新しい歌を主に向かって歌い、美しい調べと共に喜びの叫びを挙げよ。主の御言葉は正しく、御業は全て真実だからである。主は正義と公正を愛し、地は主の慈しみに満ちている。主の御言葉によって天は造られ、主の口の息吹によって天の軍勢は造られた。」 (詩篇第33篇第3〜6節)




 
2004年2月24日
 先週先々週と詩篇に関連した内容を述べてきましたが、カトリック教会の主日(日曜日)のミサでは伝統的に詩篇が唱えられるか、または歌われます。しかも、カトリックの典礼の中で詩篇が置かれるのは必ず旧約聖書の朗読と新約聖書の朗読の間です。これは先週述べた様に詩篇が書物としては旧約聖書の中にありながらも、同時にキリストの登場を告げると言う意味で新約聖書と考えられる事から来ています。
 つまり、詩篇は旧約聖書と新約聖書の橋渡しをするものと考えられ、新旧二つの朗読の間に、もう一つの朗読を置く形で置かれているのです。そして、面白い事に、こうした事は使徒の時代、つまりキリストの直接の弟子が教会を運営した時代からの2000年に亘る伝統の上に成り立っていると言われています。
 ですから、詩篇は他の朗読と同様に一人で読む、または歌われるのが伝統的に正しい方法なのですが、しかし、実際には多くの教会で適当な独唱者がいない、更には典礼の構造に対する無理解から誤った運用がされているのも事実として挙げられる事です。

「主は天から見渡し 人の子ら1人1人を御覧になり 御座を置かれた場所から 地に住む全ての人に目を留められる。 人の心を全て造られた主は 彼らの業の全てに心を留められる。」 (詩篇第33篇第13〜15節)




 
2004年2月17日
 カトリック教会と言えば、信者ではなくともキリスト教の元締あるいは御先祖という言葉が簡単に出てきます。では、そのカトリックとは一体どういう意味でしょうか?と更に問えば、信者でも答えに窮するでしょう。実は、このカトリックとはギリシャ語で普遍あるいは普遍的を表す言葉のラテン語の形なのです。
 意外な事ですが、私達の教会がカトリックを教派の名称として名乗るのはローマの教会(西方教会)とコンスタンチノープルの教会(東方教会)が最終的に分裂した11世紀半ばの事で、それまでの教会は伝統的にカトリックとオーソドクス(英語のオーソドックスの語源で正統の意)の両方の言葉を同時に使用して来ました。ちなみに西方教会がカトリックと名乗るのは袂を分かった東方教会が先にオーソドクスと名乗ったのに対抗したからです。
 そして、この東西教会の分裂は教義よりも政治上の理由が大きかったので、分裂までの1000年間の教会の伝統の多くの現在も共有しているのです。中でも面白い事実は最も大切な祈りの一つである共通の信仰宣言の中で「聖なる普遍の教会(日本語訳)」と自分達の教会を東西の両教会、更にはプロテスタントの教会までもが同時に呼んでいるのです。これは半分冗談ですが、この部分をラテン語に翻訳すれば全てのキリスト教会は皆カトリック(普遍)教会となってしまう訳で、同時にキリスト教の2000年の堅固な伝統がいまだに失われてないという一つの証でもあるのです。

「私の神、主よ。あなたは多くの不思議な業を成し遂げられ、あなたに並ぶべきものは一つもありません。私達に対する数え切れない御わざを私は語り伝えて行くでしょう。」 (詩篇第40篇第6節)




 
2004年2月10日
 キリスト教の聖典と言えば、信者ではなくとも聖書という言葉がすぐに出てきます。ただ、それでは旧約聖書と新約聖書はと、更に突っ込むと途端に?などと言う事があります。実はプロテスタントの幼児洗礼を受け、今も所属する著者の母親は、最近まで旧約聖書はカトリック、新約聖書はプロテスタントの聖典だと信じておりました。しかし、実際には教派を問わず、この新旧二つの聖書は一体のもので、両方ともが聖典なのです。この旧約とはキリスト以前の神との契約を新約とはキリスト以降に神との契約を表します。
 そして、ここからが問題なのですが、はたして聖書の詩篇は新約聖書でしょうか、それとも旧約聖書でしょうか。こう質問すると、たいていのキリスト教信者は「書籍としての聖書の旧約の部分に含まれているから当然旧約聖書だ。」と答えます。実際、150篇からなる詩篇の多くはキリストの1000年前のダビデ王が作ったとされているのです。しかし、意外にもキリスト教徒にとっての詩篇は新約聖書に含まれます。なぜなら、救世主誕生前に書かれた詩篇ははじめは救世主の到来を祈るものでしたが、キリスト誕生後の世界にあっては、救世主の到来を祝うものになったからです。

「主は油注がれた方(メシア)に勝利を授け、聖なる天から彼に答え、右の御手によって救いの力を示される事を、いま私は知る。」 (詩篇第20篇第7節)




 
2004年2月3日
 今年も始まったばかりと思っていましたら、いつのまにか2月になっていました。慌しい世相を反映してか、狭い筈の教会の中までが、何か騒々しい感じがする昨今です。特に年配の信徒の多くはそれほど長くはないであろう自らの将来や家族の問題に悩んだり、子供達の将来、特に近年では自衛隊のイラク派兵問題等について、それに対し賛成反対のいずれの立場であろうとも、「いつか来た道」との感を強くして日本の将来を憂いている様です。
 こうした時にこそ、自分の所属する教会で悩み事を誰かに相談したり、仲間と愚痴を言い合ったり、若者を捕まえては取り留めのない昔話をしたいと考えている様なのですが、実際の教会はそれとは反対に、司祭は忙しく走り回り、信徒の各担当者は会議や行事に追われ、暇な若者は教会には居ないなど、肝心な筈の心の静けさを教会の中では得られないと思っているのも、また事実の様です。しかし、心の静けさを得られない教会があるとしたら、それ自体が目的と矛盾した在り様なのではないかと、私は思わずには居られません。

「賢者の口の言葉は恵み。愚者の唇は彼自身を呑み込む。愚者はたわ言をもって口を開き、うわ言をもって口を閉ざす。愚者は口数が多い。未来のことはだれにも分からない。死後どうなるのか、誰が教えてくれよう。 」 (コヘレトの言葉第10章第12〜14節)




 
2004年1月27日
 一昨日の日曜日をカトリック教会は児童福祉の日に定め、川越教会においてもそれを目的とした献金がミサの中でなされました。子供のいない著者には正直な処、余り実感はないのですが、マスコミによれば少子化の進む日本に於いては子供一人当たりに費やされるお金が反対に大きく上昇しているのだそうです。考えてみると、川越市内にも子供服のブランド品専門店が幾つも出店され、週末には大層賑わっていますし、ゲームセンターやファーストフードの店にも子供を連れた若い夫婦の姿が良く見られます。。
 しかし、その一方で世界の2億人の子供達が現在の同じ時間に飢えに苦しんでいる事実もまた挙げなければならないでしょう。そして、こうした飢餓ばかりではなく戦争によっても幼い命が危険に晒されているのです。

「イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供を取りあげ、御自分のそばに立たせ「私の名のゆえにこの子供を受け入れる者は、私を受け入れるのである。私を受け入れる者は、私をお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがたの中で最も小さい者こそ、最も大きい者である。」言われた。 」 (ルカ福音書第9章第47〜48節)




 
2004年1月20日
 意外な事ですが、古代のキリスト教会では司教や司祭、助祭などの役務者も選挙で選ばれていたようです。これは当時のローマ帝国の政治制度にならった方法で、同様に教会の規則である現代の教会法もローマ法の伝統に従っているのです。
 こうした民主的制度はその後の歴史の中で様々な理由から次第に失われて行きますが、その一部は現代でも引き続き存続している事が知られています。その最も代表的な制度が枢機卿達による教皇選挙(コンクラーベ)ですし、修道会の総長等もまた選挙によって選ばれる事が定められています。
 翻って、現代の教会の信徒達の間ではそうした民主制がどこまで行われているでしょうか。民主制度によって本人の意向に反して司教となった古代世界最高の教父アウグスティヌスに直接意見を聞きたいと思うのも私だけではないかもしれません。

「そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立て、 「全ての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。 」と祈った。 」 (使徒言行録第1章第23〜24節)




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2004年1月13日
 一昨日の日曜日はカトリック教会ではキリストの洗礼を記念する「主の洗礼の祝日」でした。洗礼と言えば、この文字から水で汚れを洗い清めるという意味に受け取られやすいのですが、実際に良く調べて見ると、元もとの意味は実は全く違うのです。ですから、これは私見ですが、洗礼の訳語は原意から考えると全くの誤訳と言えそうです。
 古来の洗礼では、それを受ける者を水の中に完全に沈めてから、身体を再び浮かび上がらせました。これは古い人を殺してから再び新しい生命を宿らせる事を現しているのです。
 そして、この事は同時にキリストが十字架の上で死んでから、再び3日後に復活した事の雛形でもあるのです。

「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受けられた。イエスが水の中から上がるとすぐに天が裂けて霊が鳩の様に御自分に降るのを御覧になった 。」 (マルコ福音書第1章第9〜10節)




 
2004年1月6日
 つい先日が元日と思っておりましたら、もう明日で今年も一週間のなろうとしています。さて、皆さんは今年のお正月を如何お過ごしでしたでしょうか。著者の場合は毎年、元日には新年のミサに参加して、年越しをしています。
 今年も著者は元日の0時からのミサに参加しましたが、たまたま、今回は詩篇の歌い手がいなかった為、今年初めてのミサの中で詩篇を独唱致しました。これまでも毎月一回程度ミサで詩篇を歌っておりますが、昨年6月の手術以降はお休みしておりましたので、半年振りの独唱でした。
 実際の処、私の病気が完全に治った訳ではないのですが、歌っていると、その症状の多くが癒されたように感じました。こうして私は新年のミサで新しい歌を無事に歌ったのです。

「日が暮れると、色々な病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人達をイエスの元に連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いて癒された。」 (ルカ福音書第4章第40節)




 
2004年1月1日
 皆さん、大変長くお待たせ致しました。著者は一昨年の5月に交通事故の被害者となり、その後の後遺症に悩んでおりましたが、その後、状態が更に悪化して来た為、昨年の6月始めに半日に亙る大手術を受け、その後も療養生活を続けて参りました。
 ただ、先月のクリスマス前から何とか教会にも充分ではありませんが復帰出来、当ウェブサイトの改定を再開する決断を致しました。
 その間、多くの方達から励ましや激励のe-meilやお手紙、お電話を頂き、誠に恐縮しております。
 また、皆様にご心配を掛けない為、当サイトではこうした事実をお伝えせず、サイト改定がない事への確認の御連絡を複数頂き、ご迷惑をお掛けした事も合わせてお詫び致します。

 昨年はこうした私事以外にも、イラク戦争の様な大きな事件が世界を騒がせた大変な年でしたが、今年こそは、世界に平和と安定が訪れる事をお祈りし、共に新しい年にあたって神を賛美致しましょう。

「 主をほめたたえよ。主にむかって新しい歌をうたえ。聖徒のつどいで、主の誉を歌え。イスラエルはその造り主によって喜び祝い シオンの子らはその王によって喜び躍れ。 」 (詩篇第149編第1・2節)


著者の病気と手術の為、昨年4月より長く改定が出来なかった事をお詫び致します。

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目 次 1.所在地と地図 2.集会時間 3.主な行事 4.キリスト教とは 5.お祈り
6.最近の話題 7.共助組合支部 8.写真集 9.お薦めHP 10.グレゴリオ聖歌 特 集
クイズ A.意見交換の広場 B.キリスト教の本 C.川越散策 *編集後記 メールとML
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