編集後記(一信徒が作るホームページ カトリック川越教会)

2001年11月13日から著者の個人的な雑感をもとにした編集後記の掲載を始めました。

2001年度下期

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2002年3月26日
 一昨日は復活祭(イースター)の一週間前の「枝の主日」でした。教会ではシュロやオリーブの枝を掲げ、あるいは地面に敷き詰めて、キリストのエルサレム入城を祝います。当日の祭儀の中で司祭によって祝福されたそれらの枝は信者各自が自宅に持ち返り、翌年の四旬節前に教会に再び持ち寄って、焼いて、それを灰の水曜日に使う灰とします。今年、著者は、その一本を帰宅の途中で、教会に来られなかった一人の身障者の信者の自宅に届けて、大変に喜ばれました。著者にもキリストの栄光を共に祝う気持ちが伝わり、とても嬉しく思いました。

「シュロの葉を手に持って、救いの主を迎えよ。喜びのほめ歌をホザンナと高らかに」(枝の主日の賛歌)

 
2002年3月19日
 川越教会に隣接する旧白鳩幼稚園の園長室の荷物が、新たに改装された教区研修センターの正式オープンに合わせて整理されました。そのほとんどは、昨年、帰天された前川越教会主任司祭で幼稚園園長のラバルト神父様の遺品です。担当者が使える物を選んだ後で、たまたまゴミとして処分される物を自由に持ち返って良いと言われた筆者が、それらのゴミの山をかき分けると、何と教会や幼稚園の貴重な古い写真の数々が多数出て来ました。しかも、戦前戦後のものに混じって明治から大正にかけてのオリジナル写真が幾つも、その中に含まれていました。最も古い物は百年以上前の写真と推定されます。
 不注意から、もう少しで、これらの貴重な教会の記録が失われたと思うだけでも恐ろしくなります。巡回教会時代から一世紀以上の歴史を誇り、小教区としては埼玉県最古の川越教会、そうした資料の管理には細心の注意を払わなければなりません。

「天のいと高き所に神に栄光。地には善意の人に平和あれ。」(栄光の賛歌)

 
2002年3月12日
 キリストの受難と復活を準備する40日の四旬節も、あと2週間足らずになりました。この時期、カトリック信者は告解といわれる罪の告白(懺悔)をする事になっています。例年、多くの人が告解するので、神との中を取り持つ司祭の多くは大忙しの日々です。なぜなら、教会に来られる信者はまだ良いのですが、病人やお年寄りなど教会になかなか行かれない人の為に自宅や病院を司祭が回る必要があるからです。
 そして、神よ、私達の罪をお許し下さい。

「主よ あわれみたまえ キリスト あわれみたまえ 主よ あわれみたまえ」(あわれみの賛歌)

 
2002年3月5日
 先週は川越教会での信徒の役員選出の不公正について述べましたが、今回は他の教会の選挙について、述べてみます。カトリック教会の信徒であっても他所の教会の事は意外に知らないものです。ただ、偶然、名古屋教区のある教会の三役選挙についての情報が入ってきました。それによれば、本選挙の前に、地区各の予備選挙まであって、いささか過熱しているそうで、選挙活動の行き過ぎを心配する声もあるようです。ただ、無関心層が多い川越教会などに比べれば、こうした形でも選挙に関心を持つ人が増えるのは好ましい事です。いずれにせよ私達、神の民は、より公正で熱心な選考で代表者を求めたいものです。

「すべての人の心をご存知の主よ、この二人のうち、どちらをお選びになるかをお示しください。」(使徒言行録第1章第24節)「今回ももう一度」

 
2002年2月26日
 川越教会では信徒を代表する委員会の三役を選考する事になりました。そこで、候補者を信徒達が記名投票しました。しかし、それは互選の為の候補者を選ぶもので、しかも、投票者に対する年齢や教会維持費納入の有無などの資格も明らかにされませでした。また、投票者数やその後の互選による選考の過程も一切明らかにされず、それをミサ後に質問を求められてした人には、その時には何の答えもなく、更にその夜、担当者から明らかに嫌がらせと思われる電話まで入る始末です。同時に、この選挙管理組織担当の一人が三役に選ばれ「自分で自分を選んだ結果」となっており、不公正で真に嘆かわしい限りです。神の民である私達は、より公正な選考で代表者を求めたいものです。

「すべての人の心をご存知の主よ、この二人のうち、どちらをお選びになるかをお示しください。」(使徒言行録第1章第24節)

 
2002年2月19日
 2日前の日曜日(四旬節第1主日)には、私達の教会で洗礼志願式が行なわれました。川越教会以外でも多くの教会で同様だったと思います。当然の事ながら、日本はキリスト教国ではありませんので、成人の洗礼が多く、その事を私達は普通の事と思っていますが、キリスト教国では幼児洗礼が普通ですから、そうした国では滅多に見られない光景なのです。
 それから、これを良い機会に、私達も志願者たちと一緒に自分の洗礼の更新を心から致しましょう。月並みですが、初心を忘れないように。

「彼らに父と子と聖霊の御名によって洗礼を授けなさい。」(マタイ福音書第28章第19節)

 
2002年2月12日
 聖書の時代にはインターネットはおろか電報や電話さえありませんでしたが、最近、教皇ヨハネ・パウロ2世がインターネットの教会での役割を重視する発言をされ、福音宣教にネットを利用している多くの活動を力付けました。
 しかし、残念にもカトリック教会内ではカトリックを詐称した人が教会員を装ってアクセスしたり、偽修道会が金銭目当ての広告をある教会の公式ホームページの掲示板を利用して荒稼ぎしたり、教会員が自分の立場を悪用して、相手を私信を勝手に公開するなどのトラブルも後を絶ちません。特に最後の場合は、自分の教会の広報部員を詐称して犯行を繰り返した様で、これは極めて悪質なものです。
 私たちは常に、聖書の言葉に従って行動しなければなりません。

「あなた方は行って、すべての民を私の弟子にしなさい。」(マタイ福音書第28章第19節)

 
2002年2月5日
 今日は「日本26聖人殉教者」の祝日です。時の覇者、豊臣秀吉はかつて自分が仕えていた織田信長がキリシタンを優遇していたのとは一転して、キリシタンを迫害し、外国人司祭を含むキリシタン達を捕まえ、関西からわざわざ長崎までの冬の道を徒歩で歩かせた上で残酷にも殺害しました。そして現在、この殉教の地には記念碑と記念館が建てられて、毎年、多くの人々が訪れています。

「もはや心の空しさに従う異邦人と同じ様に歩んではなりません。」(使徒パウロのエフェソの信徒への手紙第4章第17節)

 
2002年1月29日
 先日、川越教会では6年ぶりの主任司祭異動が発表されました。これは例年の定期異動同様に復活祭の翌日付ですが、今年はそれが、たまたま4月1日のエイプリル・フールに当たる事から、異動自体がジョークかも知れないなんて軽口も聞こえて来る様です。
 さて、今度の主任司祭はこれまでの教区司祭とは違ってフランシスコ会所属の方なのですが、実は昨年春で閉園した隣接の白鳩幼稚園は50年前にやはりフランシスコ会の主任司祭が創立したものです。そして、使われなくなったこの建物が教区研修センターに改装され、この春にもオープンする予定でして、これに何か不思議な因縁を感じる方もいる様です。

「主よ。あなたと共に葬られ、あなたと共に甦らせて下さい。」(聖フランシスコの十字架の道行より)

 
2002年1月22日
 一年で一番寒い時期に入りましたが、皆さん、御変わりないでしょうか。世界にはアフガニスタンをはじめとして多くの難民がおり、また、日本にもホームレスと呼ばれる人達がいます。そして、それらの人達の多くは住む家もなく、飢えや寒さに脅えています。ですから、こうした人達の為に祈り、また、少しでも救いの手を差し伸べたいと思います。浦和教区長の谷大二司教様によれば、近々、こうした目的の為にご自身でパキスタンに向われるとの事です。

「父よ、私達の日ごとのパン(糧)を毎日お与え下さい。」(ルカ福音書第11章第3節)

 
2002年1月15日
 今週の金曜日に当たる18日から25日までは「キリスト教一致祈祷週間」です。これは全てのキリスト教会が共通に共に祈り支え合う為のもので、カトリックのみならず多くのキリスト教会が参加をしています。そして、この週間はそれを考える上でも、良いきっかけを与えます。ちなみに当ホームページもそうした目的から一部の他教派関係のホームページにリンクをしていますし、これからも増やしていきたいと思っています。皆さんも共に一致の為に祈りましょう。

「父よ、あなたが私のうちにおられ、私があなたのうちにある様に、全ての人を一つにして下さい。」(ヨハネ福音書第17章第21節)

 
2002年1月8日
 正月気分もそろそろお仕舞いかと思いますが、今年はどんな年になるのでしょうか。ところで近年、健康問題から引退の噂がある教皇ヨハネ・パウロ2世ですが、今年も多くの予定が発表されていますので、まだ、それは先の話の様です。ただ、仮に引退された場合は枢機卿達による選挙(コンクラーベ)で後任が決められる事になりますし、余談ですがカトリック教会内で働いている修道会や宣教会などの総長も会員による選挙で民主的に選ばれる事になっています。
 今年は日本の国政には大きな選挙が予定されてはいませんが、衆議院が解散する可能性もありますし、地方選挙がいくつか予定されています。世界や国、地方の将来に関わる事ですから、棄権などせず、自分達に相応しい人を選びたいものです。

「すべての人の心をご存知の主よ、この二人のうち、どちらをお選びになるかをお示しください。」(使徒言行録第1章第24節)

 
2002年1月1日

神の母聖マリアの祭日、おめでとうございます。

 今日は元旦、教会暦ではクリスマス一週間後の神の母の祭日になります。昔、欧米では4月1日に新年を祝っていました。この日をエプリルフールというのは、新年が1月1日に代わっても、それを改めない人々を揶揄したものですが、今日の祭日はそれ以前からのものでした。
 ところで、キリスト教の神は唯一ですが父と子と聖霊の三つの形をとり三位一体といわれています。そして、このうちの子である神イエス・キリストは神でもあり、人間でもあり、この二つは不可分と考えられています。また、イエス・キリストは神としては、この世の始めから存在しましたが、人間としては処女マリアから産まれました。こうして、マリアは神の母と称えられる様になりました。

「女は男の子を産んだ。この子は全ての国民を鉄の杖で治めるはずの者であり、神とその玉座のもとに上げられた。」(ヨハネ黙示録第12章第5節)

 
2001年12月25日

今世紀最初の主の降誕、おめでとうございます。

 プレゼントやパーティーなど楽しい事が一杯の筈ですが、皆さんは、この日に当たって、どんな祈りをされましたか。月並みですが、自分や家族の幸福、地域や社会の向上、日本や世界の平和、その他どんなに無理な願い事でも叶えられそうな気持ちになります。そして、この気持ちはクリスマスに限らず持ち続けたいものです。
 ところで、イエス・キリストが生まれたのはアジアだってご存知ですか。そこはアジアの西の端、紛争の続くパレスチナのベツレヘムなのです。ですから、後進国が多く、現在も紛争の絶えないアジアの平和と安定の為にも共に祈りましょう。だって、私達日本人もアジアに住んでいるのですから。

「彼ら(マリアとヨセフの夫婦)がベツレヘムにいるうちにマリアは月満ちて初子を産み、布に包んで飼い葉桶に寝かせた。」(ルカ福音書第2章第6〜7節)

 
2001年12月18日
 クリスマスまで遂にあと1週間となりましたが、ところで皆さんは、この「クリスマス」という言葉の由来をご存知ですか。これは「キリストのミサ」というドイツ語からきています。よく、「降誕祭のミサ」を「クリスマスのミサ」と言い換えますが、言葉上ではミサが重複している訳です。
 また戦後、日本でもクリスマスツリーを飾る習慣が根付きましたが、これは冬至が過ぎて日長が長くなるこの時期に、衰えた太陽が復活する事を祝う古代ゲルマン人(ドイツ人等の祖先)の祭で常緑樹のモミの木が飾られたのが、後世になってキリスト教に取り入れられたものです。日本でも正月に常緑の松や竹で門松を飾りますが、同じ様な習慣と言えます。ちなみに、最近ブームになっているクリスマスリースは同じゲルマン人を祖先の一つに持つイギリスの習慣です。
 クリスマスの飾付は伝統的には、クリスマス前、4番目の日曜日(待降節第一主日)から主の公現の祭日(1月6日、ただし日本では1月2日から8日までの間の日曜日)ですが、何事にもせっかちな日本人には早く出して早く片付ける傾向がある様です。
 尚、全国の主な教会の降誕祭のミサ時間は女子パウロ会のHPで調べる事が出来ます。
女子パウロ会HP(ラウダーテ)

 アメリカや中東を始め暗い話題が多い昨今ですが、それでは、皆さん良いクリスマスを。

「処女(おとめ)が身ごもって子を生む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は『神は我々と共におられる。』という意味である。」(マタイ福音書第1章第23節)

               
2001年12月11日
 クリスマスまで、あと2週間となりました。ご存知の様にクリスマスはイエス・キリストの誕生を記念する古くからの大祭日ですが、実は、この記念という言葉が曲者です。本当のところ、キリストの正確な誕生日は聖書に記されていませんし、今では誰も知りません。
 キリストは古代ローマ時代にユダヤ地方で生まれましたが、その頃のローマ人は毎年12月下旬にローマの農業神の祭日を祝い、楽しく会食したり、お互いに贈り物を交換する習慣がありました。しかし、次第にローマ帝国がキリスト教化されると、これがクリスマスに代えられて行きました。その理由は、この時期に一年のうちで最も日の短い冬至が終わり、だんだんと日が長くなっていく事から、キリストが闇から生まれた光の子であるという信仰と結び付いたと説明されています。
 ただ、この理屈では、南半球では日長が北半球と逆さまになりますから、半年ずらしてクリスマスを祝う事も考えられますが、そうならないのは、それでは世界で一斉に祝えなくなる事と長い伝統からでしょう。
 もし、これまでクリスマスが「キリストの誕生日」とだけ思っていた方がいらしたら、これを記念に「〜を記念する〜」を是非とも付け加えて下さい。

「夜明の太陽(キリスト)が私達に臨み、闇と死の影にある人を照らし、平和に導く。」(ルカ福音書第1章第78〜9節)

              
2001年12月4日
 今週の日曜日より待降節に入りました。クリスマスまでのこの期間、昔のキリスト教徒は病人などを除いて肉食が固く禁じられていました。1ヶ月もの長い摂生(せっせい)ですから、当時の人々のクリスマスを迎える喜びは、ひとしおだったことでしょう。いまでも、熱心なカトリック教徒には金曜日に肉食しないという習慣が残っていますが、日本の師走は会社、学校、クラブ、町内会などを問わず忘年会や前倒しのクリスマスパーティーの真っ盛りですから、これさえ守る事は至難の技です。ちなみにイスラム教徒はラマダンの断食月中だそうですが、同じ様な習慣が両方の宗教にあるのは興味深い事です。
 寒さも身に染む季節になって来ました。摂生は大切ですが、せめて暴飲暴食を控え、風邪などひかれぬ様、お気を付け下さい。

人間にとって、飲み食いし自分の仕事に満足する事以外に良い事はない。(コヘレト第2章第24節)

            
2001年11月27日
 今週の日曜日は教会暦最後の主日、「王であるキリストの祭日」でしたが、ところで皆さんはキリストを王だと思いますか。
 聖書によればキリストはイスラエルを統一した偉大な王ダビデの家系ではありましたが、それは千年も前の話であり、実際にはナザレという田舎町に住む貧しい大工の息子でしかありませんでした。そして、キリスト自身も終生自分を王と名乗る事はありませんでした。
 ところで、私達は自分を何者と考ているでしょうか。その基準は職業でしょうか、地位でしょうか、財産でしょうか。しかし、それらは私達の死と共に失われていく果かないものでしかありません。
 一方、キリストはその死と復活によって「人類の救い主」と呼ばれています。
 来週からクリスマス前およそ4週間の待降節を迎え、同時に新しい年に入ります。

「イエスはお答えになった。「私の国はこの世のものではない。」(ヨハネ福音書第18章第36節)

 
2001年11月20日
 今週は聖書週間です。ご存知の方も多いでしょうが、全てのキリスト教会では旧約聖書と新約聖書の両方を共通の聖典としています。俗説に、カトリックは旧約を、プロテスタントは新約を聖典としているというのがありますが、これは明らかな誤りです。
 更に云えば、ユダヤ教は旧約聖書を、イスラム教は旧約聖書と新約聖書とコーランを聖典としています。そして、旧約聖書を共通の聖典とするという事から、キリスト教を含めたこれら3つの宗教は兄弟と言えます。
 そして、これら3つの宗教の関係が歴史的に必ずしも良好でなかった事を兄弟喧嘩にたとえる事も出来るでしょう。ちなみに、旧約聖書の冒頭の創世記には兄弟殺しを主題とした有名なカインとアベルの話が出てきます。
 世界のベストセラーと云われる聖書ですが、実際に読まれる事が少ないのも、また事実で、これはキリスト教の信者であっても、決して例外ではない様です。
 聖書はこれを信じる者にとっては、神が人類に与えられた大切な啓示です。これを機会に是非一度、聖書を開かれてはいかがでしょうか。

「初めに、神は天と地を創造された。」(創世記第1章第1節・旧約聖書の初めの言葉)

 
2001年11月13日
 アメリカ同時多発テロ事件発生から2ヶ月がたちました。多くの人命を一瞬にして奪ったこの凶悪な事件に反対する事は当然としても、その後にアメリカやイギリスなどが行っているアフガニスタンへの空爆によって罪もない多くの人々が悲惨な状況に置かれている事を私達は忘れてはなりません。
 教会は政治的な発言や行動をしてはならないと考える人も多くいますが、しかしそれはイエス・キリストの精神に反すると思います。2000年前、キリストは全人類を罪から救う為に行った言動から、当時の施政者により辱めを受け、更には十字架に付けられました。
 世界中で平和を求める集会が持たれ、キリスト教のみならずイスラム教や仏教など多くの宗教者が平和を訴えています。共に勇気を持って、平和を祈り、また行動しましょう。

「神よ。わたしをあなたの平和の道具としてお使い下さい。」(聖フランシスコ・平和を求める祈り)




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