編集後記2003年度下期 (一信徒が作るホームページ カトリック川越教会)

このページは著者の個人的な雑感をもとに構成しています。

2002年度下期
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2003年4月1日
 一昨日の日曜日、東京から訪れた友人を案内して、川越市内の桜の名所を自動車で回りました。残念ながら、ソメイヨシノはまだ1分咲きでしたが、一足早くシダレザクラやヒカンザクラが満開で、多くの人出で賑わっていました。次の日曜日までには多分、ソメイヨシノも満開になり人出ももっと多い事でしょう。
 ちなみに日本では古来より桜の花が尊ばれ、単に花と言えば桜を指す程ですが、桜の花が好まれている理由は満開になった時の空を覆う薄いピンク色の華やかな花の美しさと共に、その花の短い命と散り際の潔さが挙げられる様です。
 翻って聖書の中にも、花の美しさと共にそのはかない命を歌った詩や言葉があります。私達一人一人の人生も永遠の時の流れの中では、その花と同じ様に空しくはかないものしかありませんが、同時に美しく尊い掛け替えのないものである事もまた大切な事実ではあるのです。

「 あなた(全能の神)は眠りの中に人を漂わせ 朝が来れば、人は草のように移ろいます。朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい 夕べにはしおれ、枯れて行きます。」 (詩篇第90編第5・6節)
 
2003年3月25日
 先週、遂に憂慮していたイラクでの戦争が始まってしました。非常に悲しい事です。その一方でテレビや新聞などのマスコミは連日、その報道に明け暮れしています。こうした報道の中にはイラクやアメリカ・イギリスなどの当事国や国連をはじめとした第三国などの公式発表もあれば、評論家や軍事専門家のコメント、更には報道機関の特派員などの外電もあり、それらの多くの情報には相互に矛盾しているものが多々あります。私達はそれらの中からより正しいと思われうる情報を整理して、事実に近づく事が求められるのです。
 そして、こうした事はインターネットの世界でも同様で、私達はプロパガンダともいえる多くの公式情報ばかりではなく、有志の団体や個人の情報なども総合的に判断して真実に近づく努力が必要な事は言うまでもありません。私達のカトリック教会でも、お粗末とさえ言える公式サイトがある一方で、個人で運営するサイトに優れたものが多くあり、そうしたサイトがより福音宣教に役立っている事実も見逃せないでしょう。
 話は戻りますが、イラクで行われている戦争が一刻も早く終結し、同時に平和で自由なイラクが誕生する事を祈らずにはおられません。その為にも、より正しい情報を多くの人々が得る為の報道の自由が必要不可欠なのは当然と言えるのです。

「私は、誰に対しても自由な者ですが、出来るだけ多くの人を得る為に、全ての人の奴隷となりました。 」 (コリントの信徒への手紙一第9章第19節)

2003年3月18日
 著者は三年半前に購入し、これまで使用して来たノート型のパソコンが不調の為、止むを得なく後継機として、同じメーカーのやはりノート型パソコンを先日購入しました。今度のパソコンは演算速度が5倍、記憶容量が9倍、一時記憶容量が4倍になり、搭載されているソフトも最新のものになりましたが、驚いた事に、何と値段は以前に比べて3割も安かったのです。
 現代の科学技術の進歩は凄まじいものがありますが、こうして数字で見ると、更に、はっきりとそれを実感できます。そして、インターネットを含めたIT技術の殆どがアメリカの力である事も、また事実です。
 現在、そのアメリカは敵対国とみなしたイラクと再び戦争を始めようとしています。10年前の湾岸戦争で、イラクは大きな被害を受けましたが、仮に、戦争が再発すれば、アメリカの最先端の科学兵器によって、その時を上回る大きな被害をイラクに与える事は間違いないでしょう。
 そのような惨事が起きないよう共に祈りましょう。近代戦争によって被害を受けるのは、多くの場合、罪もない一般人なのです。

「預言者ダニエルの言った憎むべき破壊者が、聖なる場所に立つのを見たら(読者は悟れ)」 (マタイ福音書 第24章第15節)

 

 
2003年3月11日
 春らしい日が続きます。そして、復活祭を準備する40日間の四旬節に入りました。皆さん、如何お過ごしでしょうか。実は、今年のこの期間が過ぎ、復活祭が来ると、このサイトも4年目に入ります。この間、20ページ程だったサイトが130ページ余りにもなり、また、容量も10メガバイトから120メガバイトにまで大幅に増えました。
 そこで、今回より、それに対応してデータを蓄積するサーバーをより容量が大きいものに契約変更し、また、使用するパソコンやホームページ作成支援ソフトも新しいものに更新して、よりパワーアップしたサイトを提供する様に致します。
 尚、新しいサイトURLは以下となっております。相互リンクサイトの担当者とメーリングリストの参加者とには過日御連絡を致しましたが、今回、当サイトの閲覧者の皆様様にも同様にお伝えすると共に、サイト登録の変更を合わせてお願い致します。旧URLは、まもなく消失する予定です。


URL (新) http://47.tok2.com/kawagoe-saitama/church/
短縮URL http://church.jp/kawagoe/ (ブラウザー設定によっては見られない場合有)
E-mail kawagoe@church.jp (変更なし)
  (旧)http://www1.nyan.ne.jp/~kawagoe/

「よくよく、あなた方に言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、一粒のままだ。しかし、もし死ねば、多くの実を結ぶだろう。 」 (ヨハネ福音書 第12章第24節)
著者注:キリストは3年余りの活動の後、十字架の上で死んで3日目に復活した。

 
2003年3月4日
 明日は灰の水曜日です。この日のミサで司祭は一人づつ信者の額に灰を付け、人間が塵芥(ちりあくた)から生まれ、また、それに帰って行く事を改めて思い出させます。
 確かに、私達の寿命は長くても100年程度で誠にはかない夢の様なものでしかありません。しかし、同時に私達の生み出した芸術、例えば絵画や彫刻、音楽などは世代を越えて残る普遍性を持っています。しかし、残念な事に、教会関係のサイトでも、こうした面にまで目を向けた運営をしている所は極めて少なく、単なる案内板や説教集の体裁を取っている所が殆どの様です。
 明日の灰の水曜日から聖週間前40日間に当たる四旬節に入ります。この期間、信者は華美を慎み、質素に生きる事を求められます。そして更に私は、この地上における本当の財産は何であるかを考える良い期間になる事を祈らずには居られません。

「新しい歌を主に向かって歌い、美しい琴の調べと共に喜びの声を挙げよ。」 (詩篇第33篇第3節)
古代ユダヤ教の時代、神に捧げる音楽は大切にされ、歌い手や弾き手には音楽の高等教育が施された。

 
2003年2月25日
 一昨日、新しく発足した川越教会の公式サイトのURLが発表されました。まだ、骨組だけで、中身は殆どありませんが、前主任司祭の公式ホームページ開設の呼び掛けから、実に足掛け4年目の事でした。
 また、このサイトは教会広報部の主催によるものですが、実際のところ、教会の規約には広報部がホームページを担当する事が定められていない等、運営に当たっての教会内での手続き上の不備も指摘されています。 また、世界中で閲覧出来るホームページは、単なる教会広報誌の発行と違い、それだけ、社会的な責任も大きい事を担当者は強く自覚する必要があるでしょう。
 しかし、同時に唯一これまで川越教会を紹介して来た著者の運営する当サイトも、この4月で4年目を迎え、こうした責任の重荷から開放され新たな飛躍の時を迎えております。そして、その為にも、先に「ネットの中にキリストの存在を見る。」とローマ教皇が言われた様に、川越教会公式サイト(ミカエルネット)の前向きで、かつ良識有る健闘を心から祈りたいと思います。

ミカエルネット(カトリック川越教会公式ホームページ)
http://www.user.kcv-net.ne.jp/~kawagoecatholic/

「良く聞きなさい。世界中どこででも、この福音が宣べ伝えられる所では、この人のした事も記念として語り伝えられるだろう。」 (マタイ福音書第26章第13節)

 
2003年2月18日
 中東のイラクでは戦争の危機が迫っていますが、先日、そのイラクにローマ教皇の特使が派遣され平和への模索が図られました。 実際、この戦争を積極的に遂行しようとしているのは、アメリカとイギリス、スペインの3カ国くらいであり、残りの多くの国々は消極的か更には反対をしています。
 大量破壊兵器の廃棄と言いながら、それを世界一持っているのが誰が疑う事もなくアメリカ自身でなのです。また、イラクはサウジアラビアに次ぐ中東第2の産出国でありますから、イラクに親米政権を作ってをコントロールする事で世界の石油資源の実権を握ろうとするアメリカの意図が見え隠れするのも、また、そうした現実を裏付けています。
 イラクの地は古くはメソポタミアと呼ばれ、世界最古の文明の発祥の地で、信仰の祖と呼ばれる太祖アブラハムの出身地でもあり、イスラエルの民の多くが戦争捕虜として囚われた有名なバビロン捕囚などが旧約聖書に記されています。
 戦争の被害者の多くは罪もない弱い人々である事に、今更、第2次世界大戦を持ち出す事もないでしょう。そして、この歴史ある国が再び戦争の惨禍に晒されない様に祈りたいと思います。

「こうして、全部合わせると、アブラハムからダビデまでは十四代、ダビデからバビロンへの移住までは十四代、バビロンへ移されてからキリストまでが十四代である。 」(マタイ福音書第1章第17節)

 
2003年2月11日
 今、川越教会では駐車場の舗装の真っ最中です。この工事が完成すれば、これまでの20台余りから、旧白鳩幼稚園の園庭も含め2倍の40台余りに駐車台数が増えます。そして、主日には混み合っていた駐車場問題も一気に解決します。
 たまたま一昨日の主日、著者は主任司祭とその工事現場前で話をしましたが、神父様によれば平日には信徒の無断駐車が多いとの事でした。教会が駅に近く便利なので、駐車場が空いているの幸いに車を置いて都内まで出てしまうのだそうです。しかし仮に、その時は空いていても、葬儀や結婚式などの催事が行なわれる事もあり、教会にとっては非常に迷惑なのだそうです。
 確かに、教会の辺りで有料駐車場に車を入れると、それなりの費用が必要です。例えば、時間貸の場合は半日当たり千円以上は掛かりますし、月契約で借りると2万円は下らない様です。そして半ば冗談ですが、教会の駐車場全てを月極駐車場にすると毎月80万円の収入がある計算になります。
 更に、今回の工事には当然の事ながら多額の教会費が使われています。考えれば分る事ですが、教会に車で来る人はこれらの財産を無償で受けている訳で、実際、車を使わないで教会に来る多くの他の人々には関係のない事なのです。ですから、教会の駐車場の利用においては利用者は相応の負担とマナーが不可欠なのは当然と言えるでしょう。

「 金銭を愛する者は金銭に飽きる事なく、富を愛する者は収穫に満足しない。これまた空しい事だ。財産が増えれば、それを食らう者も増える。持ち主は眺めているばかりで、何の得もない。」(コヘレトの言葉第5章第9・10節)

 
2003年2月4日
 今日は立春です。まだ寒い日が続きますが、それでも一月前には大変短かった日照時間も最近はすっかり長くなりました。皆さん如何お過ごしでしょうか。
 そして、明日は日本26聖人の祝日です。戦国の覇者、織田信長の跡を継いだ豊臣秀吉の天下統一によって長い混乱の時代が終わります。しかし、秀吉はキリスト教を優遇した信長とは違ってキリスト教を弾圧する道を選びました。こうして、関西で捕らえられた外国人司祭を含むキリシタン26名は見せしめの為に長崎までの長い道程を苦難のうちに歩かされ、最後には長崎市内の丘の上で無残にも全員処刑されました。しかも中には、まだ幼い少年もいたのです。今から406年前の事です。
 それ以降、江戸時代を通し、更には明治6年に日本政府によってキリシタンの禁制が解かれるまでの間、長い迫害の時代が続きます。しかし、その一方で江戸幕府による開国後、長崎でフランス人宣教師によって多くの隠れキリシタンの発見され、そうした中でも信仰の火が灯され続けた稀有な奇蹟が世界中を大いに驚かせました。

「(私は)このキリストによって、今のこの恵みに信仰によって導き入れられ、神の栄光にあずかるという希望を心から喜んでいます。また、そればかりでなく、苦難をも誇りとします。苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むということを私達は知っているからです。 」(ローマの信徒への手紙第5章第2〜4節)

 
2003年1月28日
 先週の土曜日に当たる25日、石田綾子さんという一人の御婦人の葬儀が川越教会で営まれ、遺族のほか多くの信徒が出席しました。悲しい事に、80歳で一人暮しだった石田さんが自宅でコタツに座った状態で発見された時には既に死後8日が経過していたそうです。
 若い時に川越教会で洗礼を受け50年以上も信徒として過ごし、教会内の色々な係りを務めていた石田さんは以前、著者に「初めて教会の前に来たら表札に天主教と書いてあったので、(間違えて)天理教の教会がここにもあると思ったのよ。」と、笑いながら、おっしゃいました。こうして古い川越教会を知る方がまた一人世を去りました。
 ミサの中で一人読む聖書の朗読がいつも素晴らしかった石田さんを偲び、心から御冥福をお祈り致します。

「(イエスは言われた。)はっきり言っておく。私の言葉を聞いて、私を遣わされた方を信じる者は、永遠の命を受け、また、裁かれることなく、死から命へと移っている。」(ヨハネ福音書第5章第24節)

 
2003年1月21日
 一昨日の1月19日に川越教会主任司祭のシャールアンドレ・フロアラック神父様が77歳の喜寿の誕生日を迎えられました。神父様御本人は秘密にされていた様ですが、たまたま日曜日と重なった事もあって、ミサの中で花束と誕生ケーキの送呈が行なわれ、神父様は嬉しそうにケーキの上のロウソクの炎を吹き消されました。これは何事も仲間を大切にするフィリピンの信徒からの贈り物でした。また、教会で活動するグループの新年会も重なり、早速に神父様を囲んでの楽しい昼食会となりました。
 実は一月程前、著者に向かって神父様は「私はまだまだ現役です。」とおっしゃいましたので、私が「パパ様(ローマ教皇)も現役ですね。」と答えました。教皇は神父様より10歳も年上で、いまだに現役だからです。すると、神父様は御自分の方が現役が長くなるだろうという意味の言葉をおっしゃいました。もしそうだとすると、神父様は、これから10年以上司祭として現役を続けられる事になる訳です。
 神父様のバイタリティーに感服すると共に、まだまだ、お元気な神父様の今後の更なる御活躍をお祈りしたく思いました。

「これらの事を証し、それを書いたのは、この弟子である。私達は、彼(ヨハネ)の証しが真実であることを知っている。 」(ヨハネ福音書第21章第24節)
著者注:キリストの最愛の弟子だった使徒ヨハネは100歳近い歳になってから、ヨハネ福音書とヨハネ黙示録、ヨハネの書簡を著したとも言われている。

 
2003年1月14日
 早いもので、新年と思うまもなく1月も中旬となって参りました。先の日曜日は教会暦では主の洗礼の祭日に当たります。暦の上では降誕祭(クリスマス)にお生まれになったキリストは早々と二週間余りで30歳位になられ、家柄から言うと従兄弟に当たる洗礼者ヨハネよりヨルダン川で洗礼を受けられたのです。
 もちろん、これはキリストが2週間余りで30歳になられたという意味ではなく、聖書に記された多くの事柄を思い出し記念する為に毎年同様に祝われるのです。特に主の洗礼の祭日はイエスが福音宣教を始めた大切な日を記念しています。
 ちなみに、教会歴では福音書のあらすじが一年余りで一巡する事になっています。特に、これから3月から4月にかけてやって来る復活祭(イースター)の間はキリストの宣教開始から受難と復活までの公的な全生涯を記念する大切な時期に当たります。
 そして早いもので、このサイトも開設から丸三年になりますが、これはキリストが宣教された公的生活の期間と同じ長さになる様です。

「そのころ、イエスはガリラヤのナザレから出て来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。 水の中から上がるとすぐ、天が裂けて聖霊が鳩の様に御自分の上に降るのを、御覧になった。すると、天から声が聞こえた。『あなたは私の愛する子、わたしの心に適う者である。』それから、聖霊はイエスを荒れ野に送り出した。」(マルコ福音書第1章第9〜12節)

 
2003年1月7日
 先日の元旦のミサでの説教では例年通り教区長の新年のメッセージが主任司祭によって代読されました。この中で、谷大二司教は初めに最近の世界情勢が第3時世界大戦の様相を呈している事に触れ、また、特に今年は国内においても経済不況による雇用不安を挙げて、それに対する教会の働きの必要性を述べられました。
 また、これまで懸案となっていた市制変更に伴う「浦和教区」から「さいたま教区」への名称変更が教会の伝統に従って本年4月1日より実施される事も合わせて発表になりました。
浦和教区サイト2003年新年の司教メッセージ(元のページへは戻るボタンで)
http://www.urawa-daichan.net/shikyo5.htm

 実際、神より万物の長として造られたとされる人間が自身で作り出した政治や経済機構の欠陥よって苦しむ姿を神が望まれているとは思えません。その反対に、神は私達がこうした困難を一刻も早く克服する事を望まれている筈です。

「神は御自分にかたどって人を創造された。すなわち神の形に創造し、男と女を創造された。神は彼らを祝福して言われた。『産めよ、増えよ、地に満ちて地を従わせよ。海の魚、空の鳥、地に動く生き物全てを支配せよ。』」(創世記第1章第27〜28節)

 
2003年1月1日
 新年、明けましておめでとうございます。

 昨年は世界では一昨年からのアフガニスタン問題やイラクや北朝鮮の問題など、国内では一連の国会議員の汚職事件やデフレと長期不況問題など本当に慌しい一年でした。また、カトリック教会でも昨年はローマ教皇の引退問題が取り沙汰されたり、日本では2人の司教が亡くなるなど話題には事欠きませんでした。
 私の所属する川越教会でも6年振りに主任司祭の異動があり、受け入れる信徒達の側も異動する司祭の側にも、それなりの苦労がありました。また、我が家においても、同居している猫を含めた家族全員が病気や怪我で病院の世話になり大変な一年でした。
 世界の平和と安定や自国の繁栄、そして、地域や社会、更には家族や自身の幸福は全人類共通の願いだと思います。その為に皆さん共にお祈り致しましょう。そして、今年は皆様にとっても、より良い一年でありますように。

「 以上(この書に記された)全ての事を証しする方が言われる。『然り、わたし(キリスト)はすぐに来る。』アーメン、主イエスよ、来てください。」(ヨハネ黙示録第22章第20節)

 
2002年12月26日
 一昨日、昨日と降誕祭(クリスマス)で川越教会は盛況でした。特に24日夜のミサには信者以外の方も多数詰め掛けて、主の誕生を共にお祝いしました。例年、12月は教会が慌しくなる季節ですが、今年は例年にも増して慌しかった様です。内外でも色々のなニュースが流れていますが、皆さんにとって今年はどんな年でしたでしょうか。
 実は、著者は5月9日の朝に交通事故で大怪我をしておりまして、まだ、その怪我が完全には癒えておりません。ただ、死んでも不思議ではない程の事故でしたから、命があるだけでも幸いだったと考えております。しかも、驚いた事に昨年亡くなられ、このサイトで特集を組んでいる前主任司祭ラバルト神父様の一年後の命日のしかも同時刻でした。
 短い様で長い一年も、あと残り一週間を切りました。鬼が笑っても泣いても、来年も是非このサイトで再びお会い致しましょう。皆様、今年一年ありがとうございました。尚、次回の改定は2003年1月1日の予定です。

「 私の愛が、キリスト・イエスにおいて、あなたがた一同と共にあるように。」(コリント1第16章第24節)

 
2002年12月23日
 昨日、川越教会ではチャリティーのミニクリスマスコンサートが開かれて沢山の人で賑わいました。また、2日後に迫ったクリスマスの飾り付けもすっかり済んで、祭壇の下には馬小屋も登場し、主キリストの誕生を待っています。
 さて、唐突ですが、クリスマスに祝われるキリストの誕生とは一体どういう意味でしょうか?新約聖書の中のヨハネ福音書によれば、キリストは、この世の初めから既に居られたと印されています。ところが、同じ新約聖書のマタイとルカの両福音書によればキリストは聖母マリアから生まれたとされています。では、この不思議な矛盾は何故なのでしょう。
 既に御存知の方もいらっしゃるでしょうが、教会では、神としてのキリストは世の始まりから存在したが、人間としてのキリストは2千年前にマリアから生まれたと教えています。つまり、神であり同時に人間であるキリストがこの世に現れ神と人との唯一の仲介者、唯一の救い主となったのです。
 では、クリスマスに、このキリスト誕生の神秘を共にお祝い致しましょう。

「 ところが、彼ら(マリアとヨセフの夫婦)がベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて、初めての子を産み、布にくるんで飼い葉桶の中に寝かせた。客間には彼らの泊まる場所がなかったからである。 」(ルカ福音書第2章第6・7節)

 
2002年12月17日
 クリスマスを前にした川越教会では2つの大きな催しがありました。その一つは先週末の土曜日に市民会館で行なわれた市民クリスマスです。これは市内の主なキリスト教会が合同で市民に参加を求める毎年の行事で、今年のゲストはマスコミですっかり有名になった盲目のテノール歌手の新垣勉師だった事もあって大変な盛況でした。
 また、翌日の日曜日には、やはりテレビでも取り上げられたモンゴルの子供達一向が両国のカトリック教会の友好の為に、はるばる川越教会を訪れて、歓迎会や交流会が開かれ、多くの信徒が大歓迎をしました。
 そして、この時期は例年、会社や仲間内での前倒しのクリスマスパーティーや早めの忘年会が開かれて日本中が賑やかに、また、せわしなくなって来ます。そして、そういう著者も来年に向けたホームページの改訂作業に日夜追われています。
 こうして、今年やり残した事はと考える暇もないうちに、あと一週間あまりでクリスマスがやって来ます。

「都に上る時に詠んだダビデの歌。主よ、私の心は驕らず、私の目は高かぶらず、大き過ぎる事、私の及ばぬ怖るべき事を追い求めません。私の魂は乳離れした幼子の様に、母の胸にいる幼子の様に安らかです。イスラエルよ、主を待ち望め。今も、とこしえに。 」(詩篇第131編)

 
2002年12月10日
 先日の主任司祭の発表によれば、12月24日の夜のミサの後に行なわれる川越教会のクリスマスパーティーが、例年のアルコールも出た飲食による形式を止めて、今年はお茶とお菓子によるティーパーティーとなるそうです。折角の楽しみがふいになって失望する信者も多少いた様ではありますが、実はそれを聞いた著者は、とても喜んでいます。
 何故なら、ある事情から自動車を使って教会に来なければならない著者はアルコールの誘惑に負けない為に、最近はミサの後の教会のパーティーにとんと出席していなかったからです。もしも、アルコールの誘惑に負けて飲んでしまえば、乗って来た自動車を教会に置いて徒歩で帰るか、パーティーの後で最低でも2時間は休んで酔いを覚ましてから帰らならなければなりません。
 ここまで書くと、意外な方もいらっしゃるかも知れませんが、禁酒を旨とする一部のプロテスタント教会とは違って、カトリック教徒は飲み過ぎでなければ、普通にアルコールを摂る事が許されています。しかし、その反面、信徒や更には司祭の中にも実はアルコールに依存する者もいますし、また、反面で教会は、そうした方の更正の為の自助団体に施設を提供したりもしています。
 ですから、アルコールなしの今年のクリスマスパーティーは、そうした方や私の様に誘惑に弱い多くの人を含めて、共にイエス・キリスト誕生を祝うものになれば本当に良いと心から思います。

「洗礼者ヨハネが来て、パンも食べずぶどう酒も飲む事もしないと、あなたがたは『あれは悪霊に取りつかれているのだ』と言い、 人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢の大酒飲みで、徴税人や罪人の仲間だ』と言う。だが、知恵の正しさは、それに従う全ての人が証明する。」(ルカ福音書第7章第33〜35節)

 
2002年12月3日
 著者は、昨年から交通事故で怪我をした一匹の猫を引き取って自宅で飼い始めました。この猫という動物の祖先はリビア山猫と言い、北アフリカの砂漠に今も住んでいますが、古代エジプト人によってネズミから作物を守る家畜とされたのが始まりで、それが西アジアを経て中国から日本に伝わりました。
 本来、野生の猫は単独で行動し、その習性を強く受け継ぐ家畜の猫も集団生活が大の苦手ですが、そう言いながらも飼い主に良く懐くのは、子猫の時に母猫に甘えた記憶が残っていて、自分の面倒を見てくれる飼い主を自分の母猫に置き換えて認識するからだそうです。
 聖書の中で、イエス・キリストが「父(アッパ)よ。」と呼んだ主なる神も、そのキリストの教えの中では、人間の罪を罰するそれまでのユダヤ教の厳格な父のイメージの神ではなく、反対に子供の全てを赦して受け入れる優しい愛の神として、母性的なイメージで語られている様です。
 こうして今、文章を書き込む私の膝の上で、猫は主の様な顔をしながら満足そうに安心して眠ってます。

「 私を母から生ませ乳房にゆだねて守られたのは、あなた(神)です。私が母の胎に身篭った時から、あなたはわたしの神。私は生まれた時から、あなたのものです。」(詩篇第22編第10〜11節)

 
2002年11月26日
 川越教会の3本の大きな銀杏の木もすっかり紅葉して黄色い花が満開の様に見えるこの頃です。皆様、如何お過ごしでしょうか。
 さて、来週の日曜日は降誕祭と言われるクリスマスの四週前の待降節第一主日に当たり、この日より教会暦では一足早く新しい年に入ります。世間ではクリスマスの飾り付けが行なわれ、また、クリスマスソングが賑やかに流れ、また、一足早い忘年会やクリスマスパーティーが盛大に開かれるなど華やかな季節とのイメージがありますが、実は本来、救世主の誕生をその喜びと共に静かに待つ時期なのです。
 一方で、今年も世界中の多くの紛争や対立、更には悲劇が報道されていますが、私は主の降誕を待ちながら心を静かにする時期を待降節の間、持ち続けたいと思うこの頃です。ここで一句。

黄金の 銀杏の落ち葉 主を待てり

 「 シオンの食糧を豊かに祝福し、乏しい者に食べ切れない程のパンを与えよう。祭司らには、救いを衣としてまとわせる。私に生きる者は喜びの声を高く挙げるだろう。 私はダビデのために一つの角をそこに芽生えさせる。私が油を注いだ者のために一つの灯を備えた。 彼の敵には、恥を着せる。王冠はダビデの上に花開くであろう。」(詩篇第132編第15〜18節)(著者注:キリストはダビデ王の再来と人々から言われた。)

 
2002年11月19日
 21世紀に入っても、中東の情勢は平和の実現からは遠い情況にあります。混迷の続くイスラエル問題もそうですが、アメリカからテロ国家と名指しされたイラクの問題もその一つでしょう。御存知の様に、このイラクは世界第二の石油産出国ですが、これがこの問題と大きな繋がりをもっている事は日本では意外に知られていません。
 ちなみに、世界第一の石油産出国であるサウジアラビアはイラクの西に隣接する親米国家ですが、王家による世襲制の独裁国家であり、またイスラム教以外の宗教が認められていない専制国家でもあります。一方のイラクは曲りなりですが、国民に選挙権が認められ、また、信仰の自由も保障されていますから、多数派のイスラム教ばかりではなくカトリックを含めたキリスト教徒が多数いるのです。
 そして、民主主義を掲げながら反対の行動をするアメリカの本当の狙いはイラクに親米政権を作り、世界の石油資源を支配する事と言われている様です。ですから、私達は湾岸戦争に最後まで反対したバチカンの姿勢を思い出す必要があるでしょう。

 「『隣人を愛し、敵を憎め』と、あなたがたも命じられている。 しかし、私は言おう。敵を愛し、自分を迫害する者の為に祈れ。 」(マタイ福音書第5章第43・44節)

 
2002年11月12日
 最近は日本の各地から雪の便りも聞かれるようになりました。ここ川越でも、桃や桜などの木の葉がすっかり落葉しておりますが、皆さん、如何お過ごしでしょうか。
 その川越教会では一昨日「召命(しょうめい)」についての学習会が主任司祭を講師に開かれ、多くの信徒が参加しました。今回は今年四月に赴任された新司祭が講師という事もあり、著者も興味深くその話しに聞き入りました。このテーマとなった召命とは、神からの個人への呼び掛けの事で、聖職者や修道者ばかりではなく、一般の信徒全員にキリスト者として、神から与えられているものなのです。
 話しは変わりますが、先日、都内のカトリックの友人と電話で話をしたところ、その教会では、活動の殆どを信徒自身によって運営しており、新しく転任して来た司祭は自分の仕事がミサなどの特定の仕事しかない為に勝手が違うのか張り合いを無くしているのだそうです。どうやら、その教会によって、信徒の働きや組織に差がある為、信徒の働きが不活発な教会に赴任した司祭は自分の仕事の多さに困り、反対に活発な教会に赴任した司祭は仕事の少なさに困惑するといった事がある様です。
 40年前の第二バチカン公会議を境に、司祭固有の仕事以外は信徒が受け持って行く事になりましたが、実際には教会によって進み方に大きな差がある様です。

 「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、その賜物が預言であれば信仰に応じて預言し、 奉仕であれば奉仕に専念し、教える人は教えに、 勧める人は勧めに精を出し、施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。」(ローマの信徒への手紙第12章第6〜8節)

 
2002年11月5日
 日本の社会では現在、超高齢化が進んでおり政府もその対策に追われています。これはカトリック教会も同様で、実際、司祭や修道者にも高齢者が目立ってきており、今後の司祭や修道者の不足が教会内部でも言われています。
 しかし、実は、一般のカトリック信徒にも超高齢化の波は訪れているのですが、意外にも、これを問題として取り上げる事は余り多くはない様です。事実、川越教会のミサでも、参加者の多くが65歳以上の高齢者ですが、その中には、一人暮らしであったり、病気勝ちであったりして、なかなか教会に来られない方が多数居られます。
 著者は2年程前から、そうした一組の高齢者の御夫婦と知り合い、毎日曜日の朝、往復で1時間程の距離を自家用車で御自宅まで迎えに行く様になりました。本来、教会は貧しい者、弱い者の為にありますから、そうせざるを得なかったのです。そうして知り合いになると、高齢者には、日常の悩みや更には自分や身内の将来の病気や万一の時の葬儀や墓地、相続の問題などの悩みが少なからずある様です。
 皆さんの中にも、こうしたご家族を抱えて居られる方もいらっしゃるでしょうが、そうではない方も出来ましたら、超高齢化の問題を身近な事として、一度は考えて頂きたいと思うこの頃です。

 「老人をとがめてはなりません。むしろ、自分の父親にする様に諭しなさい。若い男は兄弟と思い、年老いた婦人は母親と思い、若い女性には常に清らかな心で姉妹と思って勧告しなさい。 身寄りのないやもめを大事にしなさい。 」(テモテへの手紙1第5章第1〜3節)

 
2002年10月29日
 近年のインターネットの普及は目を見張るものがあります。それは多くの最新の情報を提供するだけでなく、メールや掲示板、メーリングリストによる双方向性によって情報の共有化が全世界単位で図れるからです。
 カトリック教会でも、日本を代表する中央協議会を始めとして、多くの団体でホームページが開設され、様々な情報を提供していますが、ここに来て、その弊害も指摘される様になってきました。ほんの一例ですが、特定の個人を誹謗中傷した虚偽を実名や自宅の住所、所属教会名や電話番号などの個人情報入りで投稿する悪質なものもあります。
 また、こうした事で、興味本位の問い合わせを受けた教会の担当者が、全く相手を確かめずに、不正確な情報や誤った事実を不用意に伝え、更に、それが新たな投稿を生んでトラブルを一層拡大させている様です。当然の事ですが、教会員の情報は単なる個人情報であるばかりではなく、宗教活動を通して得た個人情報は全て守秘する義務が教会の規則のみならず、刑法によって定められてる事を忘れてはなりません。
 普段、何気なく出る事もある教会宛の電話にも、こうした意味で細心の注意が求められているのです。

 「この天使は、地上に住む人々、あらゆる国民、種族、言葉の異なる民や民族に宣べ伝える為に、永遠の福音を携えて来て、 大声で言った。『神を畏れ、その栄光を称えよ。神の裁きの時が来たからである。天と地と海と水の源を創造された方を伏し拝め。 」(ヨハネ黙示録第14章第6〜7節)

 
2002年10月22日
 秋が深まりつつある今日このごろです。皆さんのところでは、いかがお過ごしでしょうか。関東の中央部に位置する川越も、すっかり涼しくなり朝晩は暖房が必要な程になりました。私の自宅の周囲に広がる水田も、今では稲の刈り取りもすっかり済んで、大きく太った緑色のイナゴが畦道のあちこちを飛び跳ねています。
 ところで、このイナゴは地方によっては佃煮にして食べる事もあり、伝統的な秋の味覚ともされていますが、その反面、昔から大群をなして作物を食い荒す害虫でもありました。100年程前の事ですが、開拓の進む北海道で大規模なイナゴの発生が何度かあり、遂に軍隊までが出動して大群目掛けて大砲を撃ったが効果は全くなかったと記録されています。
 聖書の世界でも、旧約ではエジプトでイナゴの大群が発生した事や新約では洗礼者ヨハネが荒野で暮らしながらイナゴを食物とした事が記されるなど、相当にポピュラーな虫だったようです。もし、ご近所でイナゴを見付けたら、良く見ると可愛い素振りと共に、そうした歴史を是非思い出してみて下さい。

 「(洗礼者)ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食物としていた。彼は『わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。』 と宣べ伝えた。」(マルコ福音書第1章第6・7節)

 
2002年10月15日
 川越では、今週末の19・20日に関東三大祭りの一つと言われる「川越祭り」があります。この祭りは川越氷川神社の例大祭で江戸時代初期からの伝統がある川越市最大の行事で、県内はもとより関東一円や海外からも多数の観光客が訪れます。
 川越は古い城下町の為、祭りは伝統的に市内の各自治会が中心となって運営されており、比較的郊外にある著者の自宅でも、この季節になると、お囃子を練習する笛や太鼓の音が毎日の様に聞こえてきます。旧約聖書の詩篇には笛や太鼓で神を賛美する歌があり、実は3000年前の古代イスラエルの民も同じ様な事をしていたのです。
 例年、祭り当日は川越教会に籍を置く信徒のミサ参加が少なくなりますが、これは自治会の行事として祭りに駆り出される信徒が多くなる為と、市内の道路が通行止めになる等する事から混雑を嫌って欠席する信徒が多い為です。しかし、その一方で、祭り見物の為に遠方からはるばる訪れた見知らぬ信者がミサに参加する事も多く、新たな出会いがある日でもあります。
 今年は川越市制80周年の節目の年に当たり、祭りも史上最大の規模ですので、こうした大勢の方がこの機会に川越教会を訪れる事を楽しみにしたいものです。

 「 太鼓の音に合わせて踊り主をほめたたえよ。弦をかき鳴らし笛を吹いて主をほめたたえよ。 」 (詩篇第150章第4節)

 
2002年10月8日
 一昨日の主日ミサに川越教会を池袋で一人の労働者として働く一人のシスターが参加されました。この会は、イエスの小さい姉妹の友愛会と言って50年程前に創立された新しい観想会系の修道会ですが、北アフリカの砂漠から始まって全世界に広がり、日本でも30名が活躍しているそうです。また、同じ系列のイエスの小さい兄弟会という男子の会もあり、現在、日本に4名の会員がいるそうです。
 このシスターはミサの後に、自作のオリーブの木で出来た素敵なロザリオを販売されました。オリーブと言えば聖地エルサレムが有名ですが、最近は戦乱の為にイスラエルからの材料の調達が難しくなり、イタリアのアッシジから送られたものを使用しているのだそうです。
 新聞やテレビなどでは、毎日の様にパレスチナ情勢が伝えられますが、こんなところにも、そうした影響が出ている事に私は改めて驚かされました。

 「 (豊かに青々と茂る)オリーブの若枝の様に、あなたの子供達は食卓を囲む。」 (詩篇第128章第3節)

 
2002年10月1日
 一昨日、川越教会の守護の天使聖ミカエルの記念日に恒例のミカエル祭が行なわれました。この日の多国籍ミサの中で、司式された浦和教区長の谷大二司教様は10カ国語での挨拶の後、「浦和教区の信徒数は12万人です。そのうちブラジルを筆頭にフィリピン、ベトナム、ペルーなど外国出身信徒は10万人もいます。そして、日本人を含めた多くの信徒達が出身ごとの別々の共同体を造るのではなく、一つとなりましょう。」と呼び掛けられました。
 浦和教区では、これまでも、ハードに当たる施設面ばかりではなく、必要な教会に外国語の分る司祭を招いて定期的にミサを行なったり、比較的若い司祭をブラジルなどの当事国へ研修に出すなど、外国出身の信徒の為のソフトに当たる対策を実施してきました。
 しかし、日本人信徒の5倍もの数の外国出身信徒を前にして、高齢化が進む浦和教区の司祭団だけで対応する事が今後は更に難しくなって行くと予想されます。ですから、開かれた多国籍の教会を運営する為には一般信徒の働きが益々必要になっていく事でしょう。

 「 だから、このこと(イザヤの預言)を知って下さい。この神(聖霊)の救いは異邦人に向けられました。彼らこそ、これに聞き従うのです。」 (使徒言行録第28章第28節)
著者注:ここでの異邦人とは傲慢になったユダヤ人以外の全国民を指す。




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