編集後記 (一信徒が作るホームページ カトリック川越教会)

このページは著者の個人的な雑感をもとに構成しています。

2002年度上期

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2002年9月24日
 昨日は秋分の日で、昔風に言えば、秋のお彼岸の中日でしたが、川越教会から少し離れた川越教会墓地では、毎年、春分と秋分の日に、多くの方が集まって司祭の司式で墓地ミサを行ない亡くなった方を偲んでいます。毎回の参加者の中には、川越教会の信徒だけではなく、周辺の教会の信徒や更には墓を川越に残したまま、他所に転出された信徒も多く、昔懐かしい顔ぶれも多く見られるそうです。
 御存知の様に、彼岸とは元々は仏教の行事で、生を象徴する昼と死を象徴する夜の長さが同じになる事から、生者が死者を弔い墓参りをする習慣なのですが、これらの中日が日本の祭日になっている理由もあった様で、カトリック教会としては珍しく川越教会では以前から彼岸を公の行事予定に取り入れているのです。
 こうした事はインカルチュレーション(文化の土着化)といって、七五三などでは全国的にも見られる事なのですが、一般にはほとんどに知られていない事の様です。

 「(世の終わりには)もはや、夜はなく、灯かりも太陽の光も要らない。主なる神が彼らを照らし、彼らは世々限りなく統治する。 (黙示録第22章第5節)

 
2002年9月17日
 一昨日、川越教会で聖母マリアについての勉強会が開かれ、多くの信徒が集まり、熱心に講師の話を聞き、また、多くの質問をしました。
 ただ、ここでお断りしたいのは、世間ではカトリック教会は聖母マリアを信仰していると言われ、マスコミなどではマリア信仰などと語られますが、実はこれは明らかな誤りだと言う事です。
 実際、カトリック教徒はキリストの母マリアを偉大な女性として尊敬しており、これを聖母への崇敬と言っておりますが、一方でカトリックの信仰は唯一の神にのみ向けられているからです。
 そして、更に言わせて頂ければ、同様に聖母マリアを深く尊敬する人々はプロテスタントや東方正教会、更にはイスラム教徒の中にも沢山いる事を忘れてはならないでしょう。

 「マリアよ、神はおまえを選び、おまえを清め、おまえを選んで世の全ての女の上に置かれた。」 (コーラン第3章第42節)
 「(マリアは言った)私の魂は主をあがめ、私の霊は救い主である神を誉め称えます。身分の低い、この主のはした女にも(主が)目を留めて下さったからです。これからは何時の世の人も、私を幸せな人と言うでしょう。」(ルカ福音書第1章第47〜48節)

 
2002年9月10日
 多くの犠牲者を出したニューヨークの貿易センタービルのテロ事件から間もなく一年になろうとしています。この悲しむべき事件の結果、アメリカを始めとする同盟国はアフガニスタンの国土の9割を実効支配していたイスラム教原理組織タリバンに宣戦布告なしに攻撃を始め、この政府を崩壊させ、同時に多くの人命が失われました。その中で憲法で戦争を放棄した筈の日本もこの戦争行為を物心に渡り支援しました。
 しかし、この一年間で問題が本当の解決を見たのでしょうか。冷戦後、唯一の超大国となったアメリカがその傲慢さ故に他国を戦力や経済力で支配しようとする構図が変わらない限り、こうした事件が続くと考える有識者が多い事を私達はもっと真剣に捉えるべきではないでしょうか。
 また、この事件をキリスト教とイスラム教の戦争と位置付ける考え方もありますが、アフガニスタンの反タリバン勢力もやはりイスラム教徒であり、アメリカの同盟国にもイスラム教国が複数ある事から、そうした考え方は決して事件の本質を突いてはおりません。

 「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と教えられている。 しかし、わたしは言う、あなたたちは敵を愛し、自分を迫害する者のために祈れ。 (マタイ福音書第5章第43〜44節)

 
2002年9月3日
 先週の土曜日に当たる8月31日、長崎教区長の島本要大司教が肺炎の為、急逝されました。聖地巡礼からお帰りになった翌日の事でした。師は1980年から1990年までの10年間、川越教会の所属する浦和教区の第二代司教を務められ、また川越教会の新聖堂建設に尽力された後に異動され、御出身の長崎教区の大司教を務めておられました。
 ちなみに、昨年帰天された前川越教会主任司祭のラバルト神父様は仲間内では頑固な人柄で有名で、上司に当たる歴代の浦和司教とも何度も真剣な喧嘩をされていたそうですが、今回、著者が探した写真の中では4年前に帰天された初代司教の長江惠師と共に三人で仲良く並んでおられます。そして、これは天の国でも同じでしょう。
 最後に島本師の遺徳を謹び、心から御冥福をお祈り致します。

 「 都に上る歌。(イスラエルの王)ダビデの詩。兄弟の様に共に住むのは、何と美しく、何と楽しい事だろうか。 (詩篇第133章第1節)

 
2002年8月27日
 来月9月29日(日)に川越教会では例年通りミカエル祭が行なわれます。これは川越教会の守護の天使ミカエルの祭日に合わせてお祝いするもので、4年前より始められ今年で5回目になります。内容は浦和司教をお招きしてミサを捧げた後、立食パーティーや飲食の模擬店、ボランティア関係の売店を開くといったものです。
 常日頃、日本の教会では「開かれた教会」というスローガンが叫ばれ、信者以外の一般の人達を教会に招く様盛んに呼び掛けていますが、しかし、これまでのミカエル祭ではこうした事を積極的には行なって来なかった様です。
 日本の寺社仏閣の祭事には、こうした宗教行事の他に、沿道に出店が並んだり、踊りや歌が奉納されたり、祭りの行列が街中を練り歩くなどしますが、それを楽しみに集まる多くの見物客はその寺社仏閣の氏子や檀家ではないのが普通で、ミカエル祭も地域に密着したこういう形を考えてはどうかと思うのは私だけではない筈です。
 ただ幸い、今年の司教ミサは外国籍の信徒の為に複数の言語を使用した多国籍ミサになる予定で、普段、教会を離れているこうした信徒達を再び教会に招く機会になる事を願ってやみません。

 「 それから、イエスは『全世界に行って、全ての造られた者に福音(主の良き知らせ)を宣べ伝えなさい。と言われた。 (マルコ福音書第16章第15節)

 
2002年8月20日
 一昨日の主日にコンベンツアル聖フランシスコ修道会の管区長が9年振りに川越教会を訪れ、共にミサを捧げました。この会はアッシジの聖フランシスコが800年前に創立し、今でもフランシスコの墓のあるアッシジの大聖堂を管理している事で知られていますが、この管区長は会の東アジア一帯を管轄され、普段はローマに勤務されているそうです。
 そして、御本人によれば、管区長は最近、政情が不安定で困難が続くインドネシア各地を視察し、多くの教会に沢山の信者が集まって祈りを捧げている姿をご覧になったそうです。特に、ある日のミサではロウソクを持って踊る様に楽しく先導する少女やその土地でとれた農畜産物や魚介類を祭壇に奉納する人々の姿に「古代教会の姿を見た。」と感慨深くおっしゃいました。
 ちなみに、全ての教会で挙げるミサは時代や地域を越えた普遍なものであり、キリストが捧げられた唯一の最後の晩餐と一体のものなのです。

 「パンは一つだから、わたしたちは大勢でも一つの体です。皆が一つのパンを分けて食べるからです。 (コリントの信徒への手紙一第10章第17節)「著者注:地上の教会は救い主キリストの身体であり、その構成員である信者一人一人はその一部と考えられ、また、ミサの中で聖変化によってキリストの身体となったパンは時代や地域を越えて一つと考えられている事によります。」

 
2002年8月13日
 明後日の8月15日は日本の敗戦記念日ですが、同時にカトリック教会では聖母の被昇天の祭日となっています。この祭日は面白い事に、カトリックの多くの祭日の中では古くて且つ新しい祭日と言えます。
 この起源をたどれば、元々5世紀のエルサレムでこの日に行なわれていた神の母マリアの記念が、6世紀にはマリアが亡くなった日として祝われる様になり、更に、7世紀に西方教会にも伝わって、8世紀になってマリアの被昇天とされたものです。
 また、1549年、日本に最初にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルは日本での最初の一歩をわざわざ、このマリアの記念の日に印しています。
 しかし、バチカンがこの日を正式な被昇天の祭日と定めたのは、更に遥かに下って1950年にローマ教皇がマリアが聖肉と共に天に上げられた事を教義として宣言した事によります。つまり、今から52年前に定まった新しい祭日でもあるのです。

 「(預言者)シメオンは(イエスの)両親を祝福し、母マリアに言った。『ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒れさせ、また、立ち上がらせるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。』」 (ルカ福音書第2章第34節)

 
2002年8月6日
 今年の4月に赴任された神父様の執務室には、その直後、特大のカラーのポスターが貼られました。それは西洋の山城の大きな写真を、下の部分にフランス語で文字が印刷されていました。一昨日、偶然の機会から、著者はそれが何か知る事が出来ました。それは何と南フランスの神父様の故郷のポスターだったのです。
 付け加えて、神父様は「(故郷には)ホームページもありますよ。ヤフー・フランスで検索する事が出来ます。」と、おっしゃいました。ただ、それらはフランス語のサイトでしょうから、フランス語を知らない人は、そのままでは読む事は出来ません。ちなみに、神父様は来年の今の時期に巡礼地ルルドと御自身の故郷を回るとの事です。
 また、ネット・サーフィンをされる方には、ご参考に以下の情報をお伝え致します。

ヤフー・フランスのURL(ヤフー日本の表紙のページからも入れます。)
http://fr.yahoo.com/
自動翻訳サイトのURL(約10カ国語のホームページに対応。但し、直訳調)
http://www.worldlingo.com/products_services/worldlingo_translator.html
神父様の故郷の綴り(フランス南部ワイン産地ボルドーと巡礼地ルルドの中間)
Roc amadour
ルルドのサイトのURL(ライブカメラで現在のルルドの洞窟の様子が分ります。)
http://www.lourdes-france.org/

「世界には非常に多くの種類の言葉がありますが、意味のない言葉など一つもありません。 」 (コリントの信徒への手紙1第14章第10節)

 
2002年7月29日
 皆さんは教会という言葉の意味を御存知でしょうか。そんなのは当然と思われる方も多いと思いますが、実はこの言葉には二つの意味があります。
 その一つは当然ですが、建物としての教会堂の事です。日本の各地に在る美しい西洋風建築のそれらは天主堂とも呼ばれ、観光名所ともなっています。
 もう一方は「集会に集まる神の民」の事で信者の集団を指し、共同体とも言われます。ですから、まれに教会案内などで教会共同体と熟語として使われる事がありますが、教会は既に共同体の意味を含んでいますので、「馬から落ちて落馬した。」と同様、厳密には意味の重複と言う事になります。
 さて、極最近、川越教会の所属する浦和教区のお隣の東京教区では、従来、○○教会と呼んでいた小教区を○○聖堂共同体と言い代える様になったと聞きます。「建物である教会堂」と「集会に集まる神の民」の二つ兼ね備えており、また、従来不足していた共同体としての信者の意識を高める上でも近年にない卓見と言えるでしょう。

「(イエスは言った。罪を犯した人が)教会の言うことさえ聞こうとしないのなら、彼を異邦人か取税人のように扱いなさい。 」 (マタイ福音書第18章第17節)

 
2002年7月23日
 関東地方は梅雨も明け、30度をはるかに超す猛暑が続いていますが、皆さん、如何お過ごしでしょうか。
 一昨日は、その猛暑の中、隣の浦和教会から珍しい来訪者が川越教会を訪ねて来ました。その方はメールのやり取りだけで面識のない私をミサの前に会衆の中から探し当てて声を掛けたのです。そこで、お互いに初対面の挨拶をしましたが、たまたま、その日はミサの中で詩篇を独唱する当番に私がなっていて、初めての方にヘタクソナ歌をお聞かせするのが恥ずかしいという気持ちになりました。ミサが終わると、私はその方に聖堂内の祭壇や聖棺、ステンドグラスなどを説明し、喜んで頂きました。
 やがて、聖堂を出て、そこにいらした主任司祭に「神父様の弟子ですよ。」と私が声を掛けますと、神父様は、まるでご自分の息子の様に優しく、そして気さくにその来訪者に話し掛けられました。なぜなら、昨年、神父様から浦和教会で洗礼を受けた方だったからです。
 ただ、こうした出来事は稀で、たとえ信者であっても、初めて訪ねる教会では、知り合いもおらず、また勝手も分からずに寂しい思いをする事が多いものです。 ですから、もし、自分の教会で見慣れぬ顔を見たら、こちらから声を掛ける習慣を持ちたいものです。

「兄弟達。あなたがたの中では、だれも不信仰の悪い心になって、生ける神から離れる者がないように気をつけなさい。」 (ヘブライ人への手紙第3章第12節)

 
2002年7月16日
 一昨日の主日の第二ミサの後、主任司祭のシャールアンドレ・フロアラック神父様の司祭叙階50周年の金祝パーティーが開かれました。ただ、既に前任の浦和教会でも1月に同様のお祝いが開かれていますので、今回は比較的内輪のものでした。
 ミサの前に著者が聖堂の前でたまたまお会いした神父様にお祝いの御挨拶をすると、神父様は通路に掲示されている数枚の写真をご説明して下さいました。そのうちの一枚は12歳の時の聖歌隊のもの、もう一枚は司祭叙階を巡礼地ルルドの司教をされていた叔父様から受けられた時のもの、他には軍医としてアフリカで働かれた時のもの数枚でした。
 そして、説明をされる75歳の神父様の輝く目はそうした若かりし時代そのものでした。

「大切なのは新たに(聖霊によって)創造される事です。」 (ガラテヤの信徒への手紙第6章第15節)

 
2002年7月9日
 前回は現在企画されている川越教会の公式ホームページの作成について、私が心配している事のうちの一つを取り上げましたが、今回は残りの一つを取り上げます。
 それは、これからホームページを担当するという広報部の基本姿勢です。ここの主な仕事は広報誌「いずみ」の編集ですが、実は、この編集方針に複数の読者が疑問を持っているからです。
 例を挙げれば、毎月の紙面が特定の寄稿者に偏っている。寄稿して不採用の場合には当然あるべき、原稿の返還や掲載されない理由の説明が投稿者に対して全く行われていない。これと同様、会議等の議事録から大切な発言が削除される事がある。投稿者の原稿が同意を得ないまま添削され、または編集者の文章を交えてた形に勝手に編集される為、寄稿者の意図が正確に伝わらず、更には、こうした事に対し憤りさえ覚える人もいる。以前、教会の担当は一つの仕事に最長4年が原則と広報誌に掲載されたが、その決まりを肝心の広報部が守っていない、等々。
 教会内の信徒を対象とした内輪の広報誌だから、まだ許されていたこういった姿勢が全世界に読者を持つ事になるホームページの世界で果たして通用するのでしょうか。今まさに川越教会の自覚と良識が求められているのです。

「(イエスは言われた)どんな反対者も、反論もできず、反証もできないような言葉と知恵を、わたしがあなたがたに与える。 」 (ルカ福音書第21章第15節)

 
2002年7月2日
 川越教会の広報誌「いずみ」によれば、川越教会の公式ホームページの作成が広報部によって始められるとの事です。ローマ教皇も今年に入って述べられた様に、普通に考えればインターネットを使った活動は教会の為にも、また多くの人々の為にも、誠に喜ばしい事なのですが、著者には2つの大きな心配があります。
 その一つは、川越教会の公式ホームページと言いながら、実際には特定の人達のみで企画され、一般の信徒の意見を全く取り入れていない点です。企画中のホームページについて、意見・要望やインターネット利用状況について信徒に対するアンケート調査を行うなり、誰でも自由に参加できる公聴会を企画するなどして、担当者は可能な限りより多くの意見を聞くべきです。また、公式ホームページを作成するという事も一部の人の構想のみで、一般の信徒からのコンセンサス(総意)を未だ得てはいません。
 ホームページの作成には膨大な手間と少なからぬ費用、更には多くの人達の惜しみない協力が不可欠です。ですから、一部の人達が企画を独占するのではなく、川越教会所属の信徒にも、また更には、教会外の多くの人々にも開かれた有意義なホームページを企画し作り上げて行く努力こそを全能の神はお喜びになる筈です。

「勇気をもってこの新しい敷居を越えてください。それは、ネットの世界に深く踏み込み、今こそ、過去と同じように、福音と文化の偉大な結合が、「キリストのみ顔に輝く神の栄光」(Uコリント4・6)を世に示すためです。」
(教皇ヨハネ・パウロ2世、「2002年、世界広報の日メッセージ」インターネット福音宣教の新たな場・フォーラムより、中央協議会ホームページより引用)

 
2002年6月25日
 前々回もお伝えしましたが、川越教会では、一昨日の午前10:30のミサの後、第3回インターナショナルフェスタが開かれ、多くの国の信徒が共に親善を深めました。ただ、残念にも著者は体調が悪く、屋台に並ぶ美味しそうな外国料理の匂いを嗅ぎながらも、ミサの後、出店の一つに立ち寄っただけで、すぐに帰宅しました。
 その出店とは海外のエイズ問題に取り組んでいる団体が活動資金を得る為にタイ製の手作りの品を販売するもので、当初は予定になく、急遽出店が決まった様です。そこで販売しているのは状差しや絵葉書など数点でした。そして著者は、その中の広告紙をコヨリにして小さな犬に編んで首に鈴を付けた飾り物を2つ購入しました。ささやかではありますが、こうした活動に協力するのは教会としても大切な事だと思ったからです。
 ちなみに、その飾り物のうちの一つは犬好きの知り合いに贈り、もう一つは我が家の住人の猫(主人の筈の私より威張っている)の主治医にお世話になったお礼として差し上げる予定です。

「信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、主は赦してくださいます。 」 (ヤコブの手紙第5章第15節)

 
2002年6月18日
 一昨日の主日の第二ミサ後、数年振りに聖ペトロ・パウロ労働宣教会(日本本部、埼玉県戸田市)のジュリアーノ修道士が学習会の指導をされました。また、同修道士は、それに先立つミサの終わりに自己紹介をされ、また、ご自身が最近出版された美しいイコンが多数印刷された解説書の宣伝をされました。
 この宣教会では昨年司祭叙階されたルイさん(以前、著者が神父様とお呼びしたところ、そう呼ばない様に御本人が希望されましたので、さん付けとさせて頂いております。)が川越教会で毎月第3日曜日に外国籍信徒の為にポルトガル語のミサを捧げておられます。ちなみに、この会は使徒パウロにならって人々の中で同じ様に労働をしながら全世界で宣教活動を行う事を目的とした新しい形の宣教会です。

「私(パウロ)とバルナバだけには、生活のための働きをやめる権利がないのでしょうか。」 (コリントの信徒への手紙1第9章第6節)「解説:他の使徒達が宣教のみに専念していたにも関わらず、パウロは自分の日々の糧を得る為にテント職人の仕事を続けながら、困難な宣教の旅を続けた。」

 
2002年6月11日
 日本の南から梅雨入りになりつつあるこの頃ですが、皆さん、如何お過ごしでしょうか。サッカーのワールドカップの話題の陰に隠れていますが、インドとパキスタンの関係が悪化しています。ヒンズー教のインドとイスラム教のパキスタンの対立という捉え方も出来るのですが、実際にはインドにも多数のイスラム教徒が住み、反対にパキスタンにも多数のヒンズー教徒が住んでいます。また、その両国には少数派ですが、カトリックをはじめとするキリスト教徒も住んでおり、その数は日本のキリスト教徒より遥かに多いのです。
 皆さんで国家の対立を乗り越え、全ての国が協調する国際関係を構築できる様に共に祈りましょう。尚、川越教会では、来る6月23日(日)午前10:30のミサの後、第3回インターナショナルフェスタが開かれ、多くの国の信徒が共に親善を深めます。(注意:この日は7:30と9:30のミサはありません。)

「(幼子キリストは)異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの光栄です。」 (ルカ福音書第2章第32節)

 
2002年6月4日
 一昨日、私達の川越教会では、初聖体式が行なわれました。初聖体とは子供が初めて聖体(特別に聖なるものとされたパン)を頂く事で、およそ10歳の子供がその為の準備の勉強をした上でされるものです。
 自分の子供が初聖体を受ける事はその親達にとっては大変な事で、この日もそうした親達のデジタルカメラやビデオカメラの隊列が祭壇を囲んでいました。
 ただ、こうした事は信者の家庭にのみある事で、信者でない家庭の子供が教会学校に通って洗礼を受け、更には初聖体を受ける事は全くありません。小さな子供をこそ受け入れるのが教会ではないのか。また、日本のカトリック教会の限界を示すものではないのか。うがった見方かも知れませんが、子供のいない著者は少し複雑な気持ちになりました。

「だれでも、わたしの名のゆえに、このような子どもを受け入れる者は、わたしを受け入れる者である。 (ルカ福音書第9章第48節)

 
2002年5月28日
 まもなく、サッカーのワールドカップが日本と韓国の各都市で始まります。その優勝候補の国の多くがカトリック国であるのも興味深いものです。フランス、イタリア、ブラジル、アルゼンチンなどがこうした国に挙げられるでしょうか?また、意外な事ですが、アフリカのナイジェリアにもカトリック教徒は多いのだそうです。
 先日、知り合いの日本のあるカトリック教徒は「是非とも、カトリック国を応援しよう。」と言っていましたが、著者は、そうした事には余りこだわらず大いに国際親善を深めたらと思いました。その意味で、歴史問題に揺れる開催国、日韓両国の親善と友好の雰囲気が整っている事は好材料でしょう。

「どんなときにも友を愛すれば、苦しみを分け合うための兄弟が生まれる。 (箴言第17章第17節)

 
2002年5月21日
 一昨日は復活祭から数えて50日目に当る聖霊降臨の祭日でした。使徒言行録によれば、キリストが復活してから50日目のこの日、神の聖霊が弟子達の上に下ったとされます。おもしろい事に、元来、この日はユダヤ教の五旬祭という「刈り入れの祭」の日でした。こうして、聖霊を受けた弟子達はキリストの福音の実りを持って世界各地へと宣教に出かけて行きます。
 そして、時を同じくして、川越市の郊外でも、水田の裏作として植えられている小麦や大麦の刈り入れ行なわれ、田植えが始まりました。実りは次の収穫への準備でもあるのです。

五旬祭の日が来て、彼らが一緒に集まっていると、突然、天から激しい風が吹いて来るような音が聞こえ、彼らが座っていた家の中に満ちた。」 使徒言行録第2章第1〜2節)

 
2002年5月14日
 今年4月2日のイスラエル軍の侵攻によって、パレスチナ過激派が民間人と共に立てこもりを続けていたベツレヘムの生誕教会が5月10日になって解放されました。今年の復活節は3月31日の復活祭から5月12日の主の昇天まででしたので、ほぼ全期間を包囲されていた事になります。
 この教会はキリストの誕生の地とされる馬小屋の跡に4世紀の初めになってキリスト教会が建てられたのが起源で、キリスト教徒のみならずイスラム教徒にとっても聖地とされている場所です。また、ベツレヘムはキリストより1000年前に生まれイスラエルを統一したユダヤのダビデ王の出身地とも言われます。
 平和的な解決は世界の多くの人の祈りと働きによるものです。そして、私達も共に、これからも中東の平和を祈りましょう。

「メシア(キリスト)はダビデの子孫で、ダビデがいた村ベツレヘムから出ると(旧約)聖書にあるではないか。 (ヨハネ福音書第7章第42節)

 
2002年5月7日
 昨日は故ローラン・ラバルト神父様(パリ外国宣教会)の一周忌の追悼ミサが行なわれました。神父様が献身的な努力して建てられた川越教会の聖堂は沢山の人で埋まりました。そして、皆で思い思いに神父様を追悼しました。神父様の故郷の聖歌も歌われ、神聖な時が会場に流れました。そして、見上げると、空には天に向かって飛行機雲が延びて行くのが見えました。ここで一句。

追悼の 飛行機雲よ 皐月空

「あなたと共に葬られ、あなたと共に蘇らせて下さい。 」(十字架の道行の祈りより・聖フランシスコ)

 
2002年4月30日
 一昨日、昨日と川越市農業ふれあいセンターでレンゲ祭が開かれ、出店やフリーマーケット等に多くの人が集まりました。このセンターは南側が伊佐沼という沼に面し、残りの三方は田んぼや畑に面しており、首都圏とは思えない環境です。そして、その田んぼ一面に毎年レンゲを植え、今が赤い花の盛りの時期なのです。
 青空の元、私も教会の帰りに立ち寄って、ふと、その田んぼを見ると、若い母親が我が子に向かって「その虫は刺さないから、ダイジョブだって。」と言っています。しかし、その虫とは蜜蜂の事で、刺さないどころか、刺されるとひどく腫れるだけではなく、場合によってはショック状態を起こす事もあるのです。そこで、私が「蜜蜂だから刺しますよ。」と思わず大な声で言うと、その母親は慌てて子供に叫んでいました。蜜蜂を知らない事も驚きですが、他人から聞いた都合の良い情報を鵜呑みにするのも危険です。そして、信仰にも、それは言えそうです。こうして、珍しく一句詠みました。

蜜蜂に 恵みの空と 蓮華草

「(主の恵みは、)金よりも、多くの純金よりも好ましい。蜜よりも、蜂蜜の巣のしたたりよりも甘い。 」(詩編第19章第11節)

 
2002年4月23日
 古代、迫害を逃れてエジプトを脱出したイスラエルの民はやがて、神が約束の地とされたパレスチナに侵攻し、ここに自分達の王国を建設します。しかし、この地は西洋と東洋、そしてアフリカの分岐点にある為に過去から現在までの多くの大国による争奪戦が繰り広げられ、決して安住の地ではありませんでした。
 そしていま、このパレスチナでは、イスラエルの子孫を名乗るユダヤ教徒がパレスチナ人の町々に侵攻し、テロ対策と称して破壊活動を繰り広げています。しかし、危険に晒されているパレスチナ人には多くのイスラム教徒と共にキリスト教徒も多数居り、実は、そのどちらもが信仰の上では正当なイスラエルの子孫なのです。ですから、私はこの無意味で不毛な行為が早く終わる事を祈らずには居られません。

「お前はもうヤコブではなく、イスラエル(神戦う)と呼ばれるだろう。神と人とに勝ったからだ。」(創世記第32章第29節)

 
2002年4月16日
 一昨日の14日(日)、川越教会の第二ミサの後に新主任司祭の歓迎会が多くの参加者を集めて盛大に開かれました。そこには、これから、お世話になる指導者に対する信徒達の歓迎の気持ちが込められていました。
 ちなみに復活祭(今年は3月31日)から間もないこの時期はキリストが復活してから天に昇るまでの期間に当たり、弟子達の前に復活したキリストが現れ、そのしるしをお示しになった事をミサ典礼の中で記念します。そして、この日のミサの新主任司祭の説教はキリストの復活が「真の光」である事を告げる真に素晴らしいものでした。その説教の中に所属するフランシスコ会の創立者でキリストの再来と言われた偉大の聖人アッシジの聖フランシスコの霊聖を強く感じたのは私だけでは多分なかったと思います。

「太陽は美しく、偉大な光彩を放って輝き、いと高きお方よ、あなたの似姿を宿しています。」(聖フランシスコの太陽の歌)

 
2002年4月9日
 4月1日付で川越教会に新主任司祭が赴任されました。実際に着任されたのは、2日だったようですが、今度の14日(日)の第二ミサの後には歓迎会も予定されております。今回の方は75歳と教会法における一応の主任司祭の定年の年齢で、浦和教区で最大の人数の教会の主任司祭となる事を引き受けられました。その情熱と勇気に大いに敬意を表したいと思います。
 ちなみに、所属はフランシスコ会ですが、このフランシスコ会とはアッシジの聖フランシスコが創設した三つの会(第一会「男子修道会」・第二会「女子修道会」・第三会「在俗者の会」)を広義には総称しますが、一つの修道会を指す時には、第一会が更に後世、コンベンツアル・改革派・カプチン派の三つに分裂したうちの改革派を指し、世界でも最も大きな修道会の一つです。

「愛される事よりは愛する事をわたしが求めます様に。」(聖フランシスコの平和を求める祈り)

 
2002年4月2日
 一昨年の復活祭(イースター)に創立したこの個人サイトも、一昨日の復活祭で丸二年を迎えました。正直、暇つぶし程度の軽い気持ちで始めたこのサイトも多くのページを持つ様になり、皆さんに少しは充実していると思って頂ければと考えるまでになりました。これも、記事を投稿したりして支援して頂いている皆さんのお陰です。ありがとうございます。
 しかし、その一方で、そのうちに川越教会にも公式のサイトが出来るだろう、そんな著者の予想は今年も裏切られ、計画はあるものの、担当者によれば、実現は遠い先の事になるのだそうです。

「私は復活し、あなたと共にいる。あなたは私の為に手を延べられた。」(復活祭の入祭の歌より)




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