切支丹(キリシタン)麻利亜(マリア)

 キリシタン時代の16世紀後期、九州の天草地方にはコレジオ(神学校)や崎津天主堂等がイエズス会宣教師アルメイダ神父によって建てられ日本のキリスト教中心地として大いに栄えました。
 しかし、秀吉や家康によるキリスト教迫害、更には3万人以上が殉教した寛永14年(1637)の天草島原の乱以降、信徒達は隠れ切支丹となり仏像を模した聖像などで密かに信仰を守り継ぎました。 
 やがて、明治6年にキリスト教が解禁されると、パリ外国宣教会が日本の宣教を担い、多くの隠れ切支丹は教会に復帰します。
 この像は明治19年(1886)にカトリック崎津教会を建設に際し、既に焼失していた庄屋吉田家跡地から出土したと伝えられ、ここで厳しい踏絵が行われたと伝えられる事から隠れ切支丹達から没収した聖母子像であると推定されます。
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伝 熊本県天草郡河浦町崎津538出土

 マリア仏は青銅製で、火災によって損傷を受けたのか背面がなく、向かって左の肩口から右斜め下に向かって二つに割れています。また、厚いケヤキの板に数本の青銅の釘で膝の上の幼子キリストと共に固定されています。  ケヤキ板表面の向かって右側には天草の津崎教会の建設の際に土中から出た事が、向かって左側には隠れキリシタンの大切な遺物である事が墨で大きく記されています。
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マリア仏本体(高186mm幅122mm)

 マリア仏が打ち付けられたケヤキの板はその形状から、高札を転用したものと思われます。
 裏面にも表面と同様に墨でこのマリア仏が庄屋の跡地の土中から発見された事が記されています。
 多分、これらは文化元〜2年に起った「天草くずれ」の際に切支丹から没収れたと思われます。
 文化元年(1604)に天草郡の今富村で切支丹の遺物が発見され、また、牛を殺し肉を仏壇に供えその肉を喰う事件が起りました。
 また、それが発端となって、翌文化2年同郡崎津、大江、今富、高浜の四ヶ村で5,202名の隠れ切支丹が発覚し、「刀の鍔」「ゼニ仏」「大黒像」「鏡」などの品が没収されました。これを天草くずれと言います。
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ケヤキ板裏面

切支丹禁制の高札(埼玉県幸手宿)← 目次へ →切支丹(キリシタン)星祭供養図
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