切支丹禁制の高札(埼玉県幸手宿)

 成立間もない明治新政府は慶応4年3月15日(新暦4月7日)五傍の掲示によって5つの布告をし、その中の第3札で切支丹を引き続き禁制としました。  この高札は埼玉県幸手市(武蔵国北葛飾郡幸手宿)の庄屋に伝わったもので、江戸と日光を結ぶ日光街道沿の高札場に掲示されたと推定されます。
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 伝 埼玉県幸手市(武蔵国北葛飾郡幸手宿) (高347mm幅703mm奥行57mm板厚25mm)

 高札の左側に新政府の役職である太政官慶応4年3月と書かれていますが、この時期は幕府が関東を支配していました。  ですから、この高札は江戸城が無血開城して新政府が関東を支配した旧暦4月11日以降のものと考えられます。
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中央拡大

 画像では木目などがあり、字体からも判読しにくい為、中央に画像で右に文字で読み下し文を掲載しました。  定
一 切支丹宗門之儀ハ是迄御制禁通堅く可相守事
一 邪宗門の儀堅く禁止の事
太政官
 慶応四年三月
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読み下し文

 一枚板の上部に取り付けられた傘の部分に2個の鉄製の輪金具が取り付けられ、これで上から吊るしていたと思われます。  同年9月8日、年号が明治となりました。新政府は明治6年まで切支丹を禁制し、諸外国の抗議を無視して迫害を続けました。
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裏側を斜め上から

注:幸手宿の高札場は東武線幸手駅から東に400Mの日光街道旧道に面する神明神社の場所にあったとされています。

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