なんとなく・・・書き綴り

第一話・・・おっしょはん
現代素人落語論とまではいかないけれど、なんとなく思いつくまま書いてみるページを作ってみました。

落語論にも書いたのですが、私は関東地方で育ったので、江戸落語を中心に聴いてきたし、自分で話すのも江戸落語でした。そういうわけで上方落語特有の「はめもの」の入った落語を聴く機会は愛媛大学落語研究会に入る前には一度もありませんでした。

入部して先輩の寄席を見る機会がありましたが、なんとなんと生の出囃子が聴こえてくるではありませんか・・・7月に市民会館小ホールで「七福寄席」が行なわれましたが、そこで初めて「はめもの」入りの落語を聴きました。にぎやかものの好きな私はなんとか自分の噺にも使ってみたいと思ったものです。また昔から和楽器に興味があったこともあり、三味線を習ってみたい、弾いてみたいと強く思ったのです。

落研に入部すると、寄席文字担当、下座担当など振り分けられるのですが、私の場合、学部が3年から離れた場所に移るため、はじめのうちは下座(三味線)に入り、おっしょはんから教えてもらうのは、途中で通えなくなるので駄目だと止められたのです。ところが、ちょうどおっしょはんの稽古場が私の下宿から歩いてちょっとのところだったので無理やり押しかけて見学という名目で、練習に参加させてもらいました。

おっしょはんはシルバーグレーの髪でめがねをかけていて、すらっとしていて、三味を持ち座っていると背筋が伸びて、きりっとしていて実にかっこいい人でした。先輩達が音をはずすと「あきまへん!どつぼでんがな!」と厳しく注意される。でも練習が終わると人懐っこい笑顔であれこれと話してくれたりしました。

そのうち「豚ちゃんも(その頃の芸名は「豚太郎」)弾いてみなはれ」とおっしょはんに言われ、ついに無理やりではあるが、おっしょはんの弟子にしてもらえたのであります。それからまるまる7年間(発表会前の練習も含めるともっと長かったかな・・・)おっしょはんから教えてもらえたことが、今思うと、愛大落研に入部しての私にとって一番おおきな、そして素敵な出来事だったのではないでしょうか。

おっしょはん=桑原ふみ子(1918〜1993)  
幼少のころから三味線に親しみ、長唄三味線・杵屋柳翁(きねやりゅうおう)を名乗る。47年に開場した「戎橋松竹」で寄席三味線の下座を務めた。80年ごろから大学などの落語研究会会員に寄席囃子を指導して年1回発表会を開いた。プロ、アマを問わず後進を育てた素敵なおっしょはんでした。

たまたまおっしょはんが道後で長唄を教える機会があり愛媛に月4日程度こられていたので、私たちは愛媛という離れた土地にいながら、おっしょはんから直接習うことができたのできたのです。  



第二話・・・このHP作成のもう一つの理由
言ってしまえば遺言のようなもので・・・といっても難病におかされているというわけではない。41も過ぎ(平成15年10月4日現在)厄年といわれる年齢になると、身の回りで「なんであいつが!」といったことがおこりだすのであり、いつ自分自身がポックリあの世に行ってもおかしくないと感じてしまうことがあるのです。
妻と子供4人(今年10歳、5歳、3歳、1歳)をかかえていると、何でうちのとうちゃん、あんなに落語に夢中なんだろ・・・と日々疑問に思っているかも知れないのではないかななどと思い、こんな事を書き綴っているわけです。まあわざわざ書き綴らなくても、寄席や講演、忘年会シーズンが近づくと怪しげな練習をしてたり、ドライブ中に落語を聴かされてるからわかってるのかもしれませんね。一番上の娘が小学4年生なんですが、たまに落語会や講演のテープを私がチェックしてると、それとなく聴いていて、お客さんが笑ってたりすると「うけて良かったね!」などと声をかけてくれるようになりました。



第三話・・・舞台(ミュージカル)との出会い
愛媛大学落語研究会でちょうど脂が乗り切っていたころ、タウン誌でミュージカルの出演者募集の記事を見かけました。派手物好きの私は「おっ!これは面白そうと」飛びつきそうになったが、落研等で忙しく結局この時は参加しませんでした。それが今思い起こすと今も時折お世話になっているみかん一座の第一回公演「サンシャイン・アイズ」(昭和59年12月 松山市民会館中ホール) だったようである。それから2年たって5回生になった頃のこと。落研は4回生で引退しなければならなく、引退後ちょっと退屈だなぁと感じていた時、渡部和也君(現 演劇ネットワーク Office59代表)が「面白そうなものがあるんだけど、来て見ます!」と声をかけてくれたのが、松山のミュージカル劇団「劇団イリュージョン」でした。その後、翌年のイリュージョン公演にも参加し、それがきっかけで、みかん一座の「心に灯りがともるまで」 (S62.12 愛媛県民文化会館サブホール)に出演することになったのですが、あの頃一緒に活動していた人たちが、いまや愛媛松山の演劇界をリードしていると思うとなんだか嬉しい気がします。
さすがに仕事を抱えている今は、団体芸である劇団活動は難しく、地元新居浜でもミュージカルなど行われていたのですが、ちょこっとでも関わるととことんは待ってしまいそうなので、個人芸である落語に絞って活動しています。落語の練習とか演出は自分のちょこっとした空き時間に一人で行えるのでありがたいのです。しかし「舞台(劇団)は一度やったらやめられない」と言うくらいで、劇団の舞台がが恋しくなると、ピンポイントでみかん一座の公演に参加させてもらっています。 



第四話・・・ドイツ語で落語はできるか?
今回、みかん一座のドイツ公演に参加させてもらうことになった。今の職業柄なかなか海外へ出張で行く機会もないので、みかん一座20周年ということもあり思い切って行くことにした。舞台もちょこっと参加して・・・とそれだけで終らないのが私の悪いところ。せっかく行くのなら、ドイツでドイツ語の落語をやったらどうなるだろうかと考えてしまったのです。まあそれだけなら考えだけで終ってしまったのですが、たまたま「日本笑い学会四国支部設立記念講演会&落語会」に参加されていた、愛媛大学のライネルト先生がドイツ語落語に興味を持ってくれてたので、話が具体的に進んでしまったのだ。「寿限無」「長短」「死神」の翻訳に協力していただき、前回大学に立ち寄った時はマンツーマンでドイツ語の発音練習。大学時代まじめにやっていなかったのでまったく初めての言語を扱っているようです。さあどうなることか。



笑いで地域づくり
私は別子銅山と新居浜太鼓祭り(毎年10月16〜18日)と女性の言葉がきつくて有名な、愛媛県新居浜市の病院で精神科をしております。精神科デイケアや作業所、授産施設など、精神に障害を抱えられた方々を地域で支えていく精神科リハビリテーションが専門です。地域で安心して暮らしていくためには、病気や障害について理解している方が、少しでも多くいてくれると心強いのです。新居浜地区では寄席・落語の笑いを生かし、精神保健福祉への理解ある地域づくりを行っています。
きっかけは平成9年にグループホームができた時でした。地域の方々に施設の事や精神障害について知っていただく為に、何かイベントをしようという事で、落語研究会出身だった私が落語会を提案しました。当時名古屋から1年契約で私の病院に勤務していた医者が、ジャズピアノのセミプロみたいな人で、以前「死神」という落語をジャズピアニストとセッションした事を思い出し(上方落語の"はめもの"のような感じ)、その先生がいるうちにということで「落語とジャズの夕べ」を開催しました。音楽療法の先生も女性ボーカリストとして協力してくれて嬉しかったのですが、その後ピアノの先生と恋に落ち、名古屋に嫁いで行ってしまい、貴重な人材を失ったのは残念でした。その時に大学時代の諸先輩や以前から交流のあった関西の方々が新居浜に集ってくれたので、せっかくだからと、翌日病院で「チョーサ寄席」を開催することになりました。それ以後毎年開催していますが、精神科の病院に来る機会のなかった地域の方たちも、落語会という事で気軽に集まってくれるようになりました。地域の作業所などでも落語会を開催しました。また、平成15年に精神障害者通所授産施設「どんでんどん」を新居浜に設置する為に、募金活動や署名活動を行ないました。「どん・でん・どん」は太鼓祭りの太鼓の音で、この音を聞くと、どこからともなく人が集ってくる、そんな願いを込めてのネーミングです。この時にも「どんでん寄席」を数回開催し、多くの方の協力をいただく事ができました。設置後は施設でも定期的に「どんでん寄席」を行なっています。
「落語」には、人と人との機微みたいなものがさりげなく含まれていて、人間の良い面も悪い面も全部含んだうえで肯定したような「笑い」があり、聴いた後に「人間って捨てたもんじゃないな。頑張ろうかな。」と思わせてくれるところがあります。だから、また、元気をもらいに、集ってくれる。また、精神障害について理解していただこうと「精神障害とはこういう症状があって・・・。」などと講演をしてもピンとこないのですが、落語会で障害者も一般の方も一堂に会して笑うという事がとても大切で、同じ空間で一緒に笑って楽しい時間をすごす経験を積み重ねていくうち、本当の理解の輪が広がっていくのではないかと思います。施設や病院だけで開催するのでなく、いろいろなところに出向いて行なう事も重要です。これを繰り返していくと、新たな輪も広がるし、地域全体も明るくなっていきます。平成9年の頃は、病院や施設での寄席に来てくれた方は関係者ばかりでしたが、最近では7〜8割の一般の方々が寄席を楽しみに来てくれるようになりました。以上、新居浜地区での精神保健福祉と笑い(寄席・落語)との関わりについて報告いたしました。(追記:落語にちなんで「どんでんどん」の施設名の入った「手ぬぐい」を作って売れば、収益も上がるし、啓蒙の一つになるだろうと、300枚を作成。アイデアは良かったのですが、仕上がった「手ぬぐい」を見て一堂ショック!「どんでんどん」が「どんどんでん」となっていました。しかし、そこはユーモアで乗り切るしかありません。「どん」と「でん」がひっくり返って、「どんでん返し」のオチがついたので、「緊張予防効果抜群!落ち着く手ぬぐい!」というネーミングで売り出す事で、事なきを得ました。当日会場にお越しになった皆様方にも、かなり協力していただき本当に助かりました。)
(平成17年7月23日広島で開催された「日本笑い学会」総会での研究発表の要旨)




「めざせ生活に落語がなじむ街・・・ある落語好きの精神科医の挑戦」
私は元々は、関東地方に住んでおりました。落語が好きで噺家になろうか真剣に悩んだ時代もありましたが結局、四国の愛媛大学医学部に入学いたしました。大学時代に落語研究会に入部したこともあり、精神科医になった現在でも落語を続けて行なっております。精神科医療現場では自傷他害の可能性のある患者さんを診る機会も多く、そのような方と話をした後に落語をするのはどこか不謹慎な感じがして一時期、落語をすることに気が引けた時期があったのですが、あるとき、精神障害者の家族教室で「いつも辛気臭い話ばかりなので、思いっきり笑える楽しい講演会にしてほしい」というリクエストがあり、落語を行ないました。私のつたない落語でしたが皆さん非常に喜んでくれました。
 現在の私の専門は精神科医療のリハビリテーションです。整形外科等の機械的なリハビリ領域と違い精神科の場合は、人と人との関わり(対人関係)のリハビリが必要になってきます。地域に暮らす方々がどれだけ多く関わってくれるかということが、重要となってくるため、少しでも多くの人に精神障害者に対する正しい情報を知ってもらうことが大切です。講演などで病気に対する講義をすることも理解につながるのではないかと、思っておりましたが最近では実際に一緒に過ごしていただくことが、障害を抱える人を理解していただく近道であると感じるようになりました。
 私の勤めている病院と地域の作業所などで平成9年から定期的に落語会(愛媛大学落語研究会のOBと現役部員が主に出演、時折若手の噺家さんにも手伝ってもらっています。)を開催しています。寄席に病院で入院している人や退院してがんばっている人、近所のおじちゃんやおばちゃん・・・皆が集まって同じ空間で一緒に笑う。こういう場がお互いの理解につながっているようです。
 少子化にそれぞれ与えられた個室、テレビ、メール、インターネット、etc.。老若男女が一堂に会して一緒に笑ったり泣いたりする機会が少なくなってきた昨今。寄せ集まって落語を聴くということは本当に素敵なことであるなとつくづく思います。
 また、新居浜のような田舎には落語をお金を出して聴く文化があまりありません。10数年前、米朝師匠や枝雀師匠を地元のテレビ局がお招きしたのですが、ネームバリューが高く、しかもしっかりした落語をされる方をお呼びすると、どうしても入場料が高くなる。会を成立させるために無理にチケットを売ってしまう。またスポンサーに無理を言って協力をしてもらう。そうするとどうしても、長続きしないのです。地方では補助金がつくと、その時だけ予算の範囲内で落語会を開催し、その後補助金が途絶えると、それと同時に落語会も終わってしまうという例が多いようです。落語は生活に密着しているべきものなのに、地方では落語会が鑑賞会のような形で開催されてしまうのです。そこで、アマチュアの落語会でもコツコツ続け、時折若手の噺家さんの落語会を定期的に有料で行うことにいたしました。最近では落語会を楽しみにしてくれる方々が少しづつ増えてきたようです。私は新居浜が、そこで暮らす方々の生活の一部として、落語がある、そんな街になって欲しいと切に願っております。





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