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0003 神田川 (2003/11/4)
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| 拓郎、陽水…と来ると、次はもう『かぐや姫』と来るしか無い。なに?前回も似たような出だしではじめた?この枕は今回までにするので許してくれ。とにかく、私の世代でフォークと言えばこの3組だったのだ。楽譜全集なんかでも、この3組は1冊にまとめられて売られてたくらいだモンな。フォークの代表みたいなモンになってたんだと思う。
なにせフォークの条件のような歌詞がかぐや姫の唄の中には込められてたのだ。例えば『神田川』の中には、♪三畳一間の小さな下宿ぅ〜と出て来る。四畳半フォークってな言葉があったが、さらに一畳半も少ないんだぞ。もう、それだけで貧乏臭くて良いじゃないか。しかもそんな部屋に女連れ込んで一緒に住んでるってんだからたまげたモンだ。今のワンルームだって六畳はあるぞ…。その半分の部屋でどないして寝てたのか?考えただけで息がつまる。 さらに、『赤ちょうちん』によると、そんな部屋で雨の日は仕事もせずにキャベツばっか食ってんだと。アオムシかお前らは?そんな暮らしが可笑しくて、あなたの横顔見つめてたんだそうな。可笑しいのはお前らやろ!?しかし、そんな青春に我々は憧れたのである。あっはっは〜!どうだ、凄いだろう!?「なんで?」とか聞くなヨ。私も今になると良く解らんのだから…。 歌詞なんかも女性的で、はかないイメージのモノが多かったかくや姫ではあるが、何故か女性にだけではなく不良の男達に指示を得ていた。頭はファンキー・モンキー・ベイビーなのに、フォークギターで『22歳の別れ』なんかをつま弾くんだから変だ。貧乏で刹那的な部分に共鳴したのかも知れないな。ただ、かぐや姫のヒットでフォークがいきなり軟弱なモノと化して行ったコトは否めないが…。 それ以前の世代の人は、かぐや姫はポップスのジャンルに入れるのかも知れない。世代としては拓郎・陽水と同じなのだが、表現していたモノがもっと別の文化に思えたからだ。つまり、フォークからニュー・ミュージックへの掛け橋の役目も果たしていたように感じるのだ。 南こうせつ、伊勢正三、山田パンダの三人がかくや姫として活動していたのは、実際のトコロわずか三年くらいだったそうな。その後、彼等に続け…で同じような三人グループが次々に出て来た。シグナル、三輪車、NSP、アリスとかもそんな感じだった。ダチョウクラブは違うぞ。でも、ドンドン洗練されていって、とうとうフォークの匂いは無くなっていった。 それでなのか、私にはかぐや姫は運命的に出て来た時代の象徴であったように感じる。偶然のような必然で時代が産み出したバンドだったように思えるのだ。そして彼等が解散したと同時にフォークの時代は終わったと感じたのでした。 |