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0007 ラブソングス (2003/12/2)
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| 岡林信康を最初に聞いたのは中学の時だっただろうか?ある日、校内放送でかかったやたら暗い印象の唄があって、それが後で考えると『チューリップのアップリケ』だった。音楽の授業で『友よ』も習ったのだが、あの唄は私にはピンと来なかった。それはきっと教科書に載ってたコトで面白く無いモノとして私の目には映ったからだ。森山良子の『この広い野原いっぱい』と同じようなモノに感じてしまったのだ。そう言えばブロードサイド・フォーの『若者達』も音楽で習った。みんなで合唱する時、同じく同曲をカバーしてた森田健作のモノマネでどうしても歌ってしまったモノだった。
中学時代の多感な頃ってのは、特に毒気のあるモノを好む傾向にある。なので温室で育てられた果実を綺麗に洗って皮を剥いて一口サイズに切り、綺麗な器に盛り付けられて目の前に出されてもちっとも魅力を感じなかった。もぎたての多少ばい菌でもついてそうな果実を服でゴシゴシして丸ごと頬張りたかったのだ。 また、時代も時代だったのかも知れない。アイドル歌手である山口百恵がアイドルらしからぬ色情狂のような歌詞をうたいはじめた時期でもあったし、刺激を歌の中にも求める時代でもあったのだろう。今でこそなんでも無い歌詞も、性的な表現は当時としてはかなりのインパクトがあったのだ。私は旧約聖書を思い出して「ソドムやゴモラ同様この国はいずれ滅びるな…。」と確信したくらいだ。けっこうまだ滅びないで頑張ってるが…。 話を戻そう。次に岡林信康と出逢ったのは私が高校に入ってからだった。私の下宿部屋で友人が弾いてくれた『手紙』…タブー視されていた同和問題をうたった唄である。 「こんな唄を作る人が居たんだ…。」 この唄との出会いで私はフォークの世界にドップリ漬かって行くコトになった。『表現の自由』とは言葉だけで、禁止用語がジャンジャン増えていく中、矛盾を感じてたんだろう…。それからの私は流行歌には目もくれず、どこまでも時代を遡ってフォークを探っていったのだった。これが私のフォークのベースになってしまった為、私にとってのフォークはプロテストソング、オンリーとなった。 こうして、高田渡・加川良・高石友也・遠藤賢司・あがた森魚・三上寛…などを聞くようになるのだが、その切っ掛けは先にも書いた通り岡林信康の存在が全てだった。10年前に生まれ、デモに参加し、機動隊と喧嘩したかったと思ったのもこの頃だった。言い換えれば若いエネルギーが有り余ってたので、何かしらの暴れる大義名分が欲しかっただけなのだろうが…。 この時期、岡林信康は沈黙の時期に入っていて、全ての活動を停止していた。ところが77年一つのアルバムと共に姿を現わした彼は、以前のプロテストソング歌いでは無くなっていたのだった。その時のアルバムが今回のタイトルになった『ラブソングス』だ。タイトル同様、それは愛の唄でつづられたアルバムであった。男女間の愛に止まらず、家族愛であるとか親子愛であるとか…そんな唄でいっぱいだった。
私が今、ネットで家族のコトを書く時も基本はこのアルバムにあるように思える。岡林自身のコトは私はそんなに知らないが、彼の表現する世界に私は近付こうとしていたのは確かだし、彼の唄との出会いが無かったらきっと今の私は居なかったと言い切れる…。私にとって、岡林信康とはそんな存在なのだ。 なお、その後イメチェンした『エンヤトット』は見事に外したな…と正直思ったのを付け足して、今回の話を終わりたいと思う(笑)。 |