0025 かりそめのスウィング (2004/4/20)
それは中学三年の時だった。同級生達は受験やなんやでカリカリ来ている時期で、付き合いが悪くなり私はとっても暇だった。高校なんざ上を目指さん限りは誰でも入れると思ってたし、自分には美術系の高校に行くつもりだったので、一般的な勉強はそれまでと同じく殆どやらないで遊んでいたのである。唄を作るようになったのもこの頃からだったから当時の私はイソップのキリギリスだった。しかし、みんな忙しいので唄を作っても誰にも聴かせるコトはなく、一人でシコシコ作っていたのだった。最初がこんな始まりだったので私の唄は人に聴かせるコトは念頭には無く、自分で歌って楽しいだけのマスターベーションでしか無かったのだ。

そんな頃、凄いバンドが現われた。甲斐バンドである。『裏切りの街角』をラジオで初めて聴いた瞬間に「これは来るな!」って思ったくらいだ。案の定、それからは毎日のようにラジオで流れた。先程調べてみると75万枚の大ヒットだったって言うんだからかなり凄かったんだな。とにかく曲のインパクト…存在感が半端じゃ無かったのだ。その頃、やはりフォークはドンドン出て来てて、フォークのバンドも腐る程出て来てたのだが、それらと甲斐バンドとは全く違うモノだったのだ。そもそも、甲斐バンドをフォークと呼んで良いのかも疑問があるのだが…。

この『裏切りの街角』の前に実はもう一枚シングルを出していて、こちらは『バス通り』という。

で、双方を比べてみるとヴォーカルこそ同じなんだが、その歌っている内容や雰囲気がガラッと変わってるのだ。つまり『バス通り』はまだフォークバンドっぽい部分を残し、詩の内容も爽やかなモノなのだが、『裏切り…』に至ってはロックと呼んだ方が近いモノとなり、詩の内容も70年代特有の暗い陰を色濃くしている。よって、『バス通り』の頃のファンの殆どが離れ、『裏切りの…』からは新しいファンが付いたんだそうな。

昔からのファンは、文字どおり裏切られた気持ちになったのであろう。

こういう曲の変化を結構やるのが甲斐バンドなのだが、今回のタイトル『かりそめのスウィング』でまた変化した。これは『裏切り…』の次のシングルなのでコロコロ変わる奴等とも受け取れるのだが、意図してやってるんだとしたら最初から自分達の唄はこうじゃないといけない!みたいな考えが無く、自由に歌いたいモノを歌うという姿勢なのかも知れない。だとすると、それは聞き手にとっては解らんが歌う者としては実に素晴らしい姿勢ではなかろうか?

そういう姿勢が許されるようにして来たのは、日本ではサザンの桑田が最初と言われているが、私は甲斐よしひろが最初だったと思っている。好きな時に休み、好きな時に変化し、テレビを主体とせずにライヴを中心とした活動に力を入れる…。長渕も桑田もその辺りのルーツは甲斐バンドだったんじゃなかろうか?そんな風に思っているのである。

話が『かりそめのスウィング』から横に逸れたので軌道修正。この曲は75年のクリスマス前に出たシングルだったので、今でもクリスマスと言うとこの唄が私の頭の中に流れる。達郎でもワムでも、ましてやビング・クロスビーでも無い、『かりそめのスウィング』が私の中のクリスマス・ソングなのである。全然クリスマスって感じないんだけど私にとってのクリスマス・ソングなのである。

♪ジングルベルに街が うき足だった夜
 人の声と車の音が飛び交ってる

『裏切り…』に比べて小当たりでしかなかったが、この唄はそれからの私の作る唄に大きな影響を与えてくれたし、私にとっての甲斐バンドもこの唄とこの唄を作った時期の彼等に尽きるのです。都会の街も人も薄汚れた中、そこで起きる情も湧かない日常…。悲しくも淋しくも無く、ただそれが当たり前になっていく自分。そしてそれの繰り返しの日々…。シラケ世代の私にとって、甲斐バンドの唄はあまりにもスンナリと心の中に入って来て、私の心臓を鷲掴みにするのだった。

なお、このB面に入っている『ポップコーンをほおばって』も名曲です。