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0027 悲しい色やね (2004/5/10)
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| GWも終わって出て来たシュンローです。2週間振りですネ。会いたかったヨ〜〜〜!皆様お元気だったでしょうか?私は、仕事はまだ山積みのままなのに風邪引いてたりいたします。いやはや…困ったモンですな(笑)。
さて、今回はフォークとは呼べない人をご紹介しましょうかネ。最近、そういうのばっかですが…。一時は浪速ロックなんてな言われ方もして、東の(矢沢)エーちゃん、西のキー坊とも言われてたみたいです。大阪を代表するシンガー上田正樹ですな。植田まさしじゃありませんからネ。植田まさしは『コボちゃん』や『カリあげ君』だからネ。『悲しい色やね』の上田正樹です。 大阪のライブハウスとか行くと、いや…ライブハウスまで行かんでも、カラオケを置いている店なんかでは必ず一人は上田正樹と同じような声で歌う人が当時は居て、彼の歌声はまさに大阪!って印象が私には強かったです。こう、しゃがれた声を張り上げてネ。カッコエエんですわ。私は声が高いので特にああいったハスキーな声に憧れましたな。 今ではもう飲まなくなりましたが、10代後半頃から声を潰そうと、飲めない酒を飲んでましたモンネ。元々が酒が体質に合わんので、飲んじゃゲェ〜〜〜!飲んじゃゲェ〜〜〜!をくり返してましたけどネ。あ…、お食事中ですか?ゴメンなさいネ。とにかく当時は飲んじゃゲェ〜ロゲロゲロ…ってやってましたな。しまいに何の為にこんな苦しい思いせにゃならんのか解らなくなってヤメましたが…。 さて、この『悲しい色やね』が流行った頃ってのは、私が22歳の時だったんですな。失恋した私の胸にグサ〜グサ〜って来た唄でしたネ。カラオケでもよく歌っておりました。同じような若い連中にもこの唄は流行ってまして、カラオケ行くと必ずどっかのボックスで誰かがこの唄歌ってましたからネ。まぁ、場所も大阪…と御当地ソングでもありましたし、みんな何かしら同じ思いを抱いて歌っていたのだと思います。 その頃の私は、大阪は東住吉のオンボロ文化住宅(東京で言うトコロのアパートネ)に住んでおりまして、途中から転がり込んで来た、当時芸大に通ってた親友の木内と、その狭い部屋で共同生活しとった訳です。ところが、こいつがまた陶芸科なんてなコースを選んでたモンだから、部屋中ネンドだらけにされて、そんな部屋には居たく無い…と、わたしゃあちこち知り合いの部屋や事務所で寝泊まりするようになっておりました。 で、この木内君ってのは今は穏やかなコンビニの店長に納まっておりますが、高校時代は番を張るくらい恐がれてた奴でして、私とはマジで喧嘩せんかったから良いのですが、ま〜それ以外の人間に気に触るようなコトをされると何するか解らんトコがあったんですわ。まぁ、類は友を呼ぶ…で私も当時は同じようなモンだったんですけどネ。 さて、その文化住宅の隣の部屋にまだ10代くらいの若いアンちゃんが越して来たんですな。で、生意気にも彼女が居ったみたいで、夜になるとアヘアヘ聞こえて来ます。んで、木内君ってのは夜は真っ暗にして静かじゃ無いと寝れない質でして、隣が越して来た頃からちょっと機嫌が悪くなっておりました。そんなある晩のコト、時間にしてもう11時くらいだったそうですが、もう眠らないと明日の授業に差し支える木内君の耳に、隣の部屋からレコードの音楽と、それに合わせて歌う歌声が聞こえて来たんだそうです。 ♪にじむ街の灯をぉ〜〜〜ふたりぃ〜見〜て〜いったぁぁぁ〜〜〜
2時間後(夜中の一時)、まだ下手な唄を歌い続ける隣の男と、布団の中で怒りに打ち震え眠れないでいる木内君の姿がそこにあったんですな。「あかん!もう限界や!」そう思った木内君は立ち上がり、金属バットを片手にドアを開け、ツカツカツカと廊下を渡り隣の部屋の前まで行くと、ドアを満身の力を込めてダダダダダ…とブチ壊れん程に叩き、昔取った杵柄のありったけの凄んだ声(またこいつの声が低くて野太い)で叫んだそうです。 「ゴゥラァァァ…、いつまで歌っとんじゃボケ!何時や思うとんじゃ? それまでランランと付いて居た窓の灯りがカチャカチャと言う音と共に消え、レコードの音もしなくなり、隣の部屋の中はシ〜〜〜ンとなったと聞きます。まぁ、あの声で怒鳴られたらかなり恐かったのは想像はつきますけどネ。その後、アヘアヘ言う彼女の声まで小さくなったんだそうですから、よっぽど恐かったったんでしょうネ。 あ〜あ、全然上田正樹の話になってねぇ〜じゃん。では、また来週〜!(笑) |