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0036 ゆめいらんかね (2004/7/12)
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| 17になる夏、私は京都駅前のホテルの屋上のビヤガーデンでアルバイトをしていた。1977年のコトである。実はまともにアルバイトをはじめたのがこの夏が初めてで、何もかもが新鮮だった。他のバイト達はみんな大学生で年上ばっかりだったのだが、私は当時パンチパーマで口髭を生やしたおっさん顔の若者だったので、みんなから一番年上と勘違いされていたのだった。私もまた正直に話せば良いモノを…誰も尋ねて来ないのを良いコトに黙っていたのだった。未成年がアルコール関係のバイトをするコトに対して、若干の後ろめたさがあったのかも知れない…。
バイト仲間の中に龍谷大学の生徒が二人居てちょっと仲良くなれた。当時、デビューしたばかりのやしきたかじんの話を他人としたのはその時が初めてだったと思う。「彼はうちの大学の出身なんだ。」と彼等は教えてくれた。何度かラジオで聴いたコトのある『ゆめいらんかね』を歌っている人だってコトは私も知っていた。それどころかサインまで私は持っていたのである。 京都…、その頃住んでいたのは宇治市だが、そこは電波の入りが悪いのか、AMを聴こうとすると近畿放送(KBS京都)しかまともに聴くコトが出来なかった。夜中は『日本列島ズバリリクエスト』という放送をやってて、大阪では聴こえんクセに何が日本列島やねん?と思いつつも、その放送を夜中になると聴いていたのである。
その後葉書のコーナーになる筈だったんだが、二人の話が盛り上がってしまったので、端折られてしまった。テーマはイルカの大量虐殺をグリーンピースが怒ってるとかいう当時のニュースだったと思う。私も葉書を出していたので、読まれなかったのがちょっと残念だった。しかし、その葉書の返事が後日送られて来た。そう言えば『鶴瓶さんのサインをください。』と書いてたのだった。「もしかして…」私はワクワクして裏を見ると、そこには何故かやしきたかじんと書いたサインがあったのだった。この葉書はおそらく今でもどこかにしまってある筈である。 『ゆめいらんかね』と来て、そのあとタイトル忘れてしまったけど電話ボックスから好きな人に電話をかけるような内容の唄が発売され、そっちもけっこう好きだった。「もしもし、もしもし…、10円玉がもうありません…」…だったかな?そんなような歌詞で、ラジオから聴こえてくるのをジ〜〜〜ッとしながら聞き入っていた私だった。サラッと聴かせない、若干粘着質な関西特有の感じで、かなりインパクトのある唄は気に入っていた。 しかし、その後しばらく音楽シーンから姿を消し、たまにガンダムの挿入歌などで名前を見たが徐々にやしきたかじんという名前を忘れかけていた…。普通ならそのまま消えてしまうのが自然な流れだったんだろう。しかし、彼はまた違う形で復活し、今では大阪では押しも押されもしないトコロまで出世してしまった。それは成功した者の立派になった姿なんだろうな…。でも、私にとってのやしきたかじんは、あのズバリクで鶴瓶と共に「アホか」「お前がアホやろ?」と笑ってたのが彼だし、『ゆめいらんかね』を歌っていた初期の頃の彼がやしきたかじんなのである。 ところで、今の髪型はヤメたほうが良いんじゃないか? |