0047 竹田の子守唄 (2004/11/9)
双児で生まれた為に未熟児で生まれ、2ヶ月近く病院の保育器の中で育った子供達が家にやって来て、我が家はいきなり二人から4人家族になった。そう、家族になったのはあの日からだったように思う。それまでは同棲の延長でしかなかったからだ。妻はいきなり忙しくなり、私もそれをせっせと手伝った。昼間は妻が子供の面倒を見ながら仕事をし、夜中は私が3時間おきにミルクを与えた。

私は小さい頃から寝つきが悪く、なかなか眠れない子供だった。そんな私に何度も昔話を聞かせてくれて、何度も子守唄を歌ってくれた母だった。でも、やっぱり寝ない私は何度も何度もアンコールを送り、母も体力が続く限りアンコールに応えてくれた。よく、あんなに一生懸命子守唄を歌ってくれたモンだと、今さらおふくろに感謝する。もし、私がおふくろの立場だったら…、一服盛ってやったに違い無い(しないしない)。

シューベルトの子守唄、ブラームスの子守唄、中国地方の子守唄、江戸のの子守唄。これらは母のレパートリーだった。おふくろに歌ってもらって私も覚えたのである。自分が親になったらきっとおふくろみたいに赤ん坊に歌ってやろう…。いつの頃からかそんな風に思ってたし、自分が受けたコトを次に回すのは当然と思ってたのかも知れない。この母からついだ子守唄の他に、もう一曲だけ私が後に一人で覚えた子守唄があった。それが、今回のタイトル…『竹田の子守唄』だった。双児を寝かせる際にこの唄はいつしか定番になっていった。

ギターを憶え始めた中学の頃、『フォーク全曲集』ってな類いの本を何冊か買ったら、必ずこの『竹田の子守唄』が載っていたのだった。関係無いが他にも『バラが咲いた』と『若者達』は必ず載っていたが、わたしゃフォークとは最後まで認めんかった。その後その他に森田公一とトップギャランの『青春時代』も加わり、これも未だに好きになれん唄である。話が逸れた…。

『竹田の子守唄』は京都の竹田地方に伝わる唄であり、子供を寝かす唄では無く、子守りをする小さな子供を歌った唄だったようだ。また、岡林信康の『手紙』や『チューリップのアップリケ』等と同様、同和的要素を含む唄という理由から、現在はCDにも収録されなくなった唄でもある。好きな唄だけに納得がいかない私である。歌っていた赤い鳥の復刻アルバムや、ベスト版にも一枚にしか収録されて無い有り様だ。この世から無くしてしまうつもりなのだろうか?

赤い鳥は1969年にデビューした男女5人全員ボーカルのグループだ。後藤悦治郎、平山泰代、大川茂、山本(新居)潤子、山本俊彦の5人で、元々がハーモニーの綺麗なグループだったので、代表曲も多い。『赤い花白い花』『翼をください』辺りは誰でもご存知だろう。

その後、後藤悦治郎は動物園の帰りに木に登り、「結婚してくれないと、ココから下りないぞ!」と平山泰代を脅して結婚し『紙ふうせん』を結成。『冬が来る前に』でデビューするコトになる。残った3人は『ハイファイセット』となって、『フィーリング』『冷たい雨』『卒業写真』等でヒットを飛ばした。因に彼等のコトを思い出すと何故かシオノギ提供ミュージック・フェアも一緒に思い出してしまう私である。

乳飲み子だった双児も大きくなり小学校へ通うようになった。もう今では寝る前に子守唄など歌ってやる機会も無くなってしまった。合唱会で『翼がほしい』を歌うコトになったと聞いた時、私は子供達に「これは『竹田の子守唄』を歌ってたグループが昔歌ってたんや…。」と教えてやった。え?どんな唄?」って聞き返す二人に、まだ小さかった頃の二人に歌ってやったように歌ってやった。

♪も〜りも〜い〜や〜が〜〜〜るぅ〜う〜
 盆〜から〜さ〜き〜ぃ〜にゃ〜〜〜

全て歌い終わる前に娘が言った。
「覚えて無い…。」

わ、私の良い唄を残そうとする精神が崩れ落ちる音が聞こえた。