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0063 結局、アコギって何だ? (2005/04/19)
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| 今年の一月から四ヶ月弱、『アコギ道シリーズ』やって参りましたが、いよいよ今回が最終回です。まだまだ、細かい話まで書けば続けられたのですが、書いてる本人も疲れてきましたので、一応今回を持って終了させていただくコトに致します。また機会がございましたらヤルかもしれませんが、今のトコロその予定はございません。そもそも、人に何か教えたりすんの苦手だモンネ(笑)。元来習い事の嫌いな性分でして、全部我流でやってきた私が人様に、なんぞ教えるなんざおこがましいんだわ。やっとこれで肩の荷もおりるってモンです。
さて、前置きが長くなりましたが今回の話。小説なんかで言うとエピローグみたいなモンですな。後書きくらいの気分で今回は読んでいただいて良いと思います。これといった情報もありませんし、『アコギ道』のまとめみたいなモンを書いていこうと思うちょります。 60年代後半から70年代にかけて日本人の若者が手にしたアコギ。当時は、Gパン、長髪、ラブピースに並んで若者シンボルであった。また、その中には反体制であったり、自由であったり、革命的な意志も含まれてて、単なるアイテムでは無かった訳である。つまりは不良のシンボルだった訳だ。 しかし、そういった印象も次第に薄れて、現在ではただの手軽な楽器になってしまった。意志を含んでいるとしたら『自由』だけのような気がする…。でも、本来アコギって楽器はそういうモノで、もっとも気楽に楽しめる楽器だったと私は思っている。昔の西部劇等などを見ると、テンガロンハットをかぶったカウボーイがアコギをかき鳴らし、横では髭を胸まで垂らした爺さんがハモニカを吹き、細身の男がバイオリンを弾いて音楽を楽しんでいる。キャンプファイヤーの中、その音楽で男も女も子供も年寄りもフォークダンスを踊って楽しんでいる…。こういった音楽にピッタリの自由な楽器だった筈なのだ。 自分を表現する為の筆のようなモノと言う人も居る。いやいや、世界を変える為の刀と例える人も居るだろう。人それぞれアコギに対する思い入れは違って当然なのだ。しかし、私にとってのギターはある人が歌ってたコレが一番近い。『友達』…そう、アコギは一生を通じて心をさらけ出せる『友達』なんだと思う。こちらが真剣に付き合えばアコギも堪えてくれるし、いい加減な気持ちで接するとアコギも機嫌の悪い音で答えてくれるからだ。つまり、私にとってアコギは裏切らない一生涯の親友なのである。
でも、とにかく私としては一生の伴侶となる出会いが出来る人が居ると良いな〜って思って、このシリーズを続けて来ました。みんな、どんなアコギと知り合えたのでしょう?または、これからどんなアコギと知り合えるのでしょう? このシリーズを読んでくれたあなた!あなたにピッタリの伴侶と出会える日を祈りつつ…このシリーズを終わりたいと思います。アコギは一生涯の友達になります。 |