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第九章 明治後期の有田
(三)西松浦郡陶磁器同業組合
 明治三十三年(一九○○)から昭和十五年(一九四○)まで四十年の長い年月、西松浦郡の近代陶業を統括領導したのが西松浦郡陶磁器同業組合である。今日の有田陶業の基礎はこの組合によって構築されたと言っても過言ではない。

 明治三十二年に「重要物産同業組合法」が公布された。明治三十年に公布された「重要輸出品同業組合法」を輸出品だけに限定せず、広く国内向け物産にも拡大するのがその趣旨である。

 有田では明治二十九年の佐賀県令によって西松浦郡陶磁器業各組合交渉会を開設している。各組合は次の通りである。

 西松浦郡有田町磁器窯業組合長 田代呈一
 西松浦郡有田町磁器錦付業組合長 手塚五平
 西松浦郡有田町磁器商組合長 田代与一
 西松浦郡有田村外三村陶磁器業組合長 勝屋玄九郎
 西松浦郡伊万里町南波多村陶磁器業組合長 柳ケ瀬六次

 この交渉会が大同固結したのが、明治三十三年に発足した西松浦郡陶磁器同業組合である。同業組合の組織は五部から成っていて、第一部は有田町製造業者で有田町磁器窯業組合全員。第二部は有田町錦付業者で有田町磁器錦付業組合全員。第三部は有田町販売業者で有田町磁器商組合全員。第四部は有田村、曲川村、大山村の製造、錦付、販売の当業者で有田村外三村陶磁器業組合から大川内村を除いた全員。

第五部は伊万里町南波多村陶磁器業組合全員に大川内村の当業者を加えたものである。業種別人数は窯焼九十一名、赤絵屋五十四名、陶磁器商人八十七名である。

 組合長には有田町磁器窯業組合長の田代呈一、副組合長は中野原の有田町磁器錦付業組合長西山盛太郎(前任者手塚五平)、評議員の深川栄左衛門と藤井寛厳は有田町窯焼、同じく林源吉は有田町磁器商組合長(前任者田代与一)で大樽の商人、同じく辻重之助は十六家の一人で赤絵町の赤絵屋、同じく松村定次は当時の有田村村長、同じく石丸善蔵は初代伊万里町長石丸源左衛門の弟で伊万里屈指の陶磁器商、伺じく柳ケ瀬六次は大樽の出身で当時は伊万里で陶磁器商だった。

 この組合の主なる事業は左の通りである。
 一、組合員の製造及び販売金額の品種別、仕向別統計と品質検査数量の集計
 二、徒弟の養成(明治四十三年より)
 三、専製権及び専売権の審査と付与
 四、懸賞図案の募集
 五、品評会の開催と有田焼出品協会の運営
 六、職工の雇用登録、組合員は毎年一月に向う一ケ年の雇用契約を結んだ職工の氏名、性別、職種、賃金を登録し職工の争奪を禁止する。
以上

 明治四十四年四月、有田町一三五六番地(現在の有田商工会議所)に物産陳列館を建設費一万一千円を投じて開設し、組合事務所として組合解散まで続いている。

 同業組合が品評会の主催者になった明治三十五年の第七回品評会では、それまでは出品物はすべて泉山の陶石を原料にしたものに限られていたのを、この会からその制限を撤廃して、天草陶石を原料としたものも出品を認めたことが注目される。

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