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第九章 明治後期の有田
(四)明治三十年代の有田
 明治三十二年六月、有田村外尾山の貿易商青木甚一郎は資本金一万五千円の合名会社青木兄弟商会を創立した。その製品のマークには最初宝珠状の青を用いたこともあったが、後は専ら角青を用いることになった。製品は内外向けの高級品及び普通品で巨器から小盃にまで及んだが、輸出向の外、内地向の鉄鉢、円鉢、組丼、肉皿類を大量に生産し、益々工場設備を拡張して、新式の機械を採用した。

 明治四十年の統計によれば、職工及び徒弟六十と労働人夫十五計七十五人で、トップの香蘭社の職工及び徒弟六十六と労働人夫四十三合計百九人に次いで二位を占めている。深川製磁は四十九人、有田村二位の梶原謙一郎は四十人である。

 明治三十五年には名工井手金作が内山から追放されて黒牟田山に移住している。
彼は当時稗古場で窯を焼いていた。父は大樽の細工人国太郎である。明治十年姫路の永世社(外尾山出身の松村辰昌経営)に雇用されて、妻と金作の妹を連れて有田を去った。残された金作は十二才だった。

 彼は本幸平の窯焼山口勇造方の細工見習として住み込んで陶技を磨いた。孤独の境遇は自分以外には頼む者はないとして涙ぐましいまでも試練に耐えて奮励努力した上、生まれつき器用だったので二十前で当時の名手と並んで遜色ない大物作りを得意とする細工人になったのである。

 後年独立して窯焼になると、生来の粗放と驕奢な生活は富貴な王侯も顔負けするという位であった。だが、一度筒袖衣(トツポウ)を着て車壷に入ると泉山の陶土はろくろに舞い踊り立ち所に三尺五寸口径の大瓶掛数個を捻り出す妙技を持っていた。

 彼が作る物は、生積みでも九十%の窯取れという。こうして生積みで焼き出されては他の窯焼には迷惑千万であった。遂にこれが問題になり、粗製乱造防止の名目で尺口以上の器物は一切生積みを厳禁する規定が設けられた。なお、違反者に窯を貸した者も同様に多額の違約金を徴収されることになった。

 二年目には応法山に移って二年間、製造を続けた。だが、その制裁も消滅したので、再び有田に帰って窯を焼いた。金作が来るまでは小花瓶などを製作していた応法山は、彼が残して行った手型によって石膏型を作って技術も非常に向上したという。

 金作は昭和八年八月二十九日、死去した。享年六十八才だった。
 明治三十年代に二つの記念碑が建立されている。その一は江越礼太のそれであり、その二は八代深川栄左衛門のである。以下肥前陶磁史考より引用する。

 「明治三十一年六月、如心江越礼太の門下が発起人になって、恩師の頌徳碑を陶山神社境内に建設した。そして、題額は小城旧藩主子爵鍋島直虎で、文学博士久米邦武が撰文し、書は同藩人木道の中林悟竹の揮毫である。

 明治二十五年一月三十一日江越礼太が長崎丸山の仮寓で逝去した。行年六十六才。彼は去る二十四年十月二十一日に有田小学校長と勉脩学舎長の職を辞して、長崎へ行ったので、有田町は彼が尽瘁した功績に報ゆるため、生涯年金二百円を贈ることにしたのである。

(中略)由来有田には陶業発展についての貢献者は決して少なくない。しかし、江越の様に晩年に他郷から移住して来て、自分は陶業者でなく従って何ら利得の目的はなくて、家産を投じて実業学校の設立に尽瘁したことは、我が陶山の恩人として忘れてはならない。宜なる哉(もっともなことである)その盛徳を追慕した町民子弟は太正三年から四月十五日にはその碑の前で町祭の式を執行することとしたのである。」

 「明治三十三年十月、関係有志が発起人となり、深川栄左衛門真忠の記念碑を陶山神社境内に建設した。題額は大隈重信、撰文は文学博士久米邦武で、筆者は冗長崎控訴院長西岡逾明である。

 (中略)明治二十二年十月二十三日、深川栄左衛門は逝去した。行年五十八才であった。前名を森太郎と称し又龍阿と号した。
天資俊邁剛毅であって大変謹厳だった。その先祖は小城郡三日月村字深川の人、深川又四郎が寛文年間(一六六一−七二の間)有田に移住したのを初代とし、爾来連綿として陶業に従事して七代の孫忠顕になって、宗藩の御用達を命じられるようになった。その頃佐賀藩と鹿児島藩とが契約していた柞灰販売の藩営を改正して、深川忠顕と川原善之助とに一手販売をさせたのである。忠顕の子真忠は、明治元年長崎出島パサールに支店を設け、蘭人との直接貿易を開始し、爾来斯業上の功績は勿論、公共事業に貢献したことは少なくない。」

 明治三十五年、有田村に於て、初めて松村式一軒窯が築造された。

在来の連続式丸窯では焼成に時日を要し、且つ燃料の松材の価格が益々騰貴するので、名古屋に転住していた松村九助は嗣子八次郎と共に窯の改良に腐心し、種々研究した結果、薪材石炭何れにも応用出来る両面焚口式の一軒窯を案出した。 そして、九助は有田村に来て本家の松村定次邸の前庭に初めて一軒窯を築造し、青木兄弟商会と香蘭社で築窯させている。

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