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第十一章 昭和初期の有田
(一)第一窯業試験場設置さる
 この四月二日にオープンした佐賀県窯業技術センターは六十四年前の昭和五年(一九三○)に佐賀県立第一窯業試験場として中樽(法務局のあった辺り)に建設された。それから遡ること二十三年の明治四十年、有田青年実業会が佐賀県青年実業会の連合大会で提案したことから始まる。そこでその二十三年間の経過を辿ってみることにする。

 先ず有田町史政治社会編2から引用する。

 「昭和二年(一九二七)度の通常県議会で試験場建設予算三万七千円が可決されたが、その設置場所をめぐって争奪戦が行われ、実施に移されないまま経過したが、その間に高取盛氏から窯業試験場建物及び設備費として一万五千円の寄付があったので、これを以て第二窯業試験場を設置することになり、昭和三年八月二十日新庄知事は左記の設置要項を発表した。
 設置要項

 一、昭和二年度通常県議会の議決を経たる予算三万七千円を以て、西松浦郡有田町に第一窯業試験場を設置する。
 二、今回更に、新たに高取盛氏より窯業試験場建物及び設備として価格一万五千円の物件寄付ありたるを以て、藤津郡塩田町に第二窯業試験場を設置する。

 第一窯業試験場は有日町中樽に建設され、起工は昭和四年一月、落成式は五年六月十三日に挙行された。整地工事及び橋などの付帯工事は有田町が負担し、十馬力のモーター一式(価格一万五千円)は久富二六が寄付した。又、敷地買収費は多く町民の寄付によるもので、その主なる寄付者は左の通りである。

 二千円 久富季九郎
 千五百円 深川栄左衛門
 千円 井手虎治
 千円 青木幸平
 千円 深川忠次
 六百円 青木栄蔵
 五百円 手塚嘉十
 五百円 蒲池正
 三百円 徳永賢次
 三百円 山口佐雄
 二百円 今泉今右衛門
 百五十円 山本頼一
 (そのほか省略)」

 職員は場長一名、技手三名、兼任一名、嘱託一名、助手二名、職工四名、使丁一名、給仕一名である。場長は大須賀真蔵で、彼は数年前京都の陶磁器講習所の所長の時、有田の業者ともいささか因縁があった。
 青年実業会の提案後、その幹部等は町の有志達の協力を得て数次にわたって県へ請願した結果、県は漸く大正五年五月、有田工業学校内に佐賀県技術員出張所を設けて技師一名と助手一名に一室があてがわれた。そして、県下一般陶業に関する質問に対し説明を与え、諸材料の試験や鉱物分析等の依頼に応ずる便宜を提供することになった。

 大正十一年四月、その年の三月から開催されている平和記念東京博覧会観覧と業界の宿望である陶磁器主産地視察を目的とする団体旅行を西松浦郡陶磁器同業組合が発起した。総勢四十七名で副組合長松本静二を団長として京都、名古屋、東京へ旅行をしたのである。

 京都では農商務省立陶磁器試験所と五条坂の京都陶磁器講習所を見学した。

試験所では有田と縁故の深い水町和三郎や徳見知孝が所員として懇切に案内してくれた。京都陶磁器講習所では当時所長だった前記の大須賀真蔵が自ら懇篤にして該博な説明をしてくれた。この視察で皆は試験所の必要を痛感したのである。当時の有田業界が焦眉の急務としていたのは泉山磁石の改良と石炭窯の技術指導の二点であったからである。

 このような有田の動きに刺激されたのか、大正十一年末の県会では、藤津郡選出の大渡熊次と杵島郡選出の田口文次の両県議が連名して「大正十二年度ニ於テ藤津郡塩田町付近ニ工業試験所ヲ設置セラレンコトヲ望ム」と建議したのである。これに対して深川六助が強く反駁したことは前章で述べた通りであるが、この建議は賛否が半ばしたため、議長採決で一応は通っている。
 だが、その後具体的な進展を見ないのは県の財政事情によるものと判断されたので、大正十三年、有田の業界では佐賀長崎両県による組合を結成して組合立の試験所をと町長名を以て両県知事へ請願した。だが、両県からは何らの反応はなかったのである。

 そこで西松浦郡選出の県議諸石兵蔵の協力を得て同業組合長と町長の連名で、技術員出張所の独立拡張という名目を以て、その敷地は地元で負担するという条件を付して県宛て請願したのは昭和二年のことである。

 一方藤津郡も運動を続けていたが、昭和二年の県議会で建設費三万七千円は可決されたもののその位置は不明のままだった。その間知事の大島破竹郎はこの件を裁断することなく新庄祐次郎に替わっている。

そこにたまたま高取盛の寄付申出があり、前記の通り新庄知事の裁断になった。

 その理由についての知事の談話は昭和初頭の陶業界の状況をも明らかにしているので、左記の通り松浦陶時報から引用する。

 「(前略)本県窯業製品の主産地は有田を中心とする西松浦郡方面と塩田町を中心とする藤津、杵島両郡地方の二方面に分かれ、両者の製品の種類販路は全く違い、前者は美術装飾品、高級食器、錦付品等で昔から特色を発揮して来たものであって、最近は更に高圧碍子、建築用陶器、硬質陶器等の製品を産出している。後者は朝鮮向け砂鉢、南洋向けゴム碗その他一般低廉な日常食器類等の製作を主としている。従って今後の指導開発に関する対策方針は両者については自ら区別があって、その試験研究の方法も異なってくるのである。
翻って本県工業生産の現況を見ると、窯業製品は今後最も重要な工業品であるが、産額は僅か四百万円内外で、往年の全国第一の地歩も今日では愛知(三千四百万円)岐阜(一千万円)の両県が鋭意製品の改善、生産費の低下、市場の開拓等に努力した結果、産額の点に於て遥かに蹴落されて、殆どこれらの地方には対抗出来ない程に沈滞したことは大変遺憾に堪えない実情である。これを復興して優勢の地位に進ませるためには、独り有田地方の既成窯業地の改新を期するだけでなく、塩田地方の新進窯業地に対しても共に完全な試験機関を整備し斯業の根底からの発達興隆を遂げさせることは今日特に緊切のことである。

 第一窯業試験場を西松浦郡有田町に選定したのは、昭和二年度産額は左の通りで産額は勿論窯数、錦窯数、職工数等で有田町が郡内の中心地であることは明らかであり、且つ県立工業学校の有益な参考機関ともなり、生徒の練成上裨益(役立つ)すること少なくはないからである。

 第二窯業試験場を藤津杵島両郡中塩田町に選定したのは、塩田川の水運によって原石の移入や生産品の移輸出に利便を有するだけでなく、近く肥前山口長崎間の有明線が開通すれば一層便益を増すであろう。その他塩田川流域の水車は陶土の粉砕に供されているなど、塩田町は自らこの地方の中心地を形成して、将来発展の余地が多いからである。(後略)」
昭和二年度西松浦郡町村別窯業統計表
町村 本窯 錦窯 職工数 生産額(円)
有田町 48 92 826 1,001,153
有田村 40 5 780 850,000
大川内村 11 0 235 135,000
大山村 2 2 131 128,000
曲川村 6 1 88 58,000
107 100 2,058 2,172,151

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