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第十二章 戦時下終戦までの有田
(三)日華事変から太平洋戦争まで 2
 昭和十四年二月、西松浦郡陶磁器同業組合は遂に解散に追い込まれた。昭和十四年二月二十五日の松浦陶時報の記事より

 「西松浦郡陶磁器同業組合解散 併設物産陳列館は町へ移管 有田焼の製造錦付販売の各業態を打って一丸とする西松浦郡陶磁器同業組合は数年前より業態別の商工業組合結成のため、同業組合の解散説が台頭(頭を持ち上げる)その成行きは頗る(大変)注視されていたが、二十一日午前十時から有田物産陳列館に於て評議員および代議員の連絡協議会を開催、種々協議の結果、満場一致右同業組合を解散することに決定。併設の物産陳列館はそのまま有田町に移管することとなった。
 ちなみに、同組合は明治三十三年重要物産同業組合法により西松浦郡内全陶磁器業者をもって組織され四十年にわたり有田焼のため多大の貢献をしたものの時勢の変遷により解散になったもので先般愛知県瀬戸市の陶磁器商工同業組合が有田と同様解散し陳列館その他の建物は市営に移管され東西業界が期せずして(思いがけなく)軌を一に(行き方を同じに)したわけである。」

 昭和十四年八月六日、有田の有田銀行、洪益銀行及び伊万里銀行と武雄銀行の四行の合併によって佐賀興業銀行が新たに生まれた。これは昭和十二年九月の「臨時資金調整法」の施行から始まった金融統制の一つとして一県一行という大蔵省の政策によるものである。

 「資金調整法」とは、満州事変から日中戦争と戦時体制への移行のなかで、金融政策の課題は、軍需産業に対する生産力拡充のための資金の確保と、公債の市中消化の促進に置かれた。同法のねらいは設備資金が不急不要の産業に流出することを食い止め、軍需産業資金を確保することにあった。例えば金融機関が設備資金を貸し付ける場合、十万円以上は政府の認可を必要とし、資本金五十万円以上の会社を設立する場合も政府の認可を必要とした。

 佐賀興業銀行合併の要点と人事などは左の通り「佐賀銀行百年史」から引用する。

 1、伊万里銀行、武雄銀行、有田銀行、洪益銀行は対等合併し新銀行を設立する。
 2、新銀行の資本金は公称三百二十五万円(内払込額百九十二万円)とし発行総株数六万五千株とする。
 3、新銀行の名称は株式会社佐賀興業銀行とし、本店は旧武雄銀行本店とする。
 4、会長手塚嘉十(有田銀行頭取)
   頭取 池永栄助(伊万里銀行頭取)
   副頭取 松尾将一(武雄銀行頭取)
   常務取締役 蒲池正(洪益銀行頭取)

   その他取締役十名、監査役四名が四行から選任された。
 5、支店十、出張所一の店舗網を敷いた。
 6、合併時の主要勘定の地区別比較表(単位千円)
   預金 一四一七九 一○○%
   伊万里銀行 六○八○ 四二.九%
   武雄銀行 四六六六 三二.九%
   有田二行 三四三三 二四.二%
   貸付金 六六一七 一○○%
   伊万里銀行 二四一○ 三六.四%
   武雄銀行 二○六八 三一.三%
   有田二行 二一三九 三二.三%

   割引手形 四六八 一○○%
   伊万里銀行 一四九 三一.八%
   武雄銀行 七 一.五%
   有田二行 三一二 六六.七%
   有価証券 六七二四 一○○%
   伊万里銀行 三五○二 五二.一%
   武雄銀行 一六一六 二四.○%
   有田二行 一六○六 二三.九%
   払込済資本金 一九二○ 一○○%
   伊万里銀行 六二五 三二.五%
   武雄銀行 二二○ 一一.五%
   有田二行 一○七五 五六.○%

 この年の十一月一日から輸出組合法第九条が拡大され貿易法第十八条として円ブロックと称した満州と中国への輸出にも適用されることになった。即ち、大日本陶磁器輸出組合連合会所属の輸出組合員てなければ指定地域への輸出は出来ない。
というのは、輸出品の梱包には連合会発行の証票を貼付し、輸出申告書には連合会統制の証印がなければ通関が出来ないからである。

 又、組合員でも所属組合の定める数量、価格及び取引方法に関する制限に従わなけれぱならないというのである。神戸以西に於ては神戸陶磁器輸出組合に加入している者以外は一品たりとも輸出出来ないという法令である。

 当時有田を主とする肥前地方から円ブロックヘ輸出している業者は卸商十名以上、直売商は五十名にも達していたのである。そして、神戸の組合に加入しているのは欧米向輸出の江頭商店と、円ブロック向けの卸商は有田物産商会とカネ有松本商店の二店に過ぎなかった。

有田では円ブロックと朝鮮を主市場とする卸商で満鮮会という親睦団体を結成していたので、この問題は先ず満鮮会でその対応が議せられた。だが、死活に係わることなので、直ちに全員神戸輸出組合に加入することになった。組合への加入は組合員二名の推薦を要したので、有田物産と松本商店とが推薦人になって全員は十月十三日神戸で加入手続きを終えた。

 満鮮会では神戸へ行く前、肥商連(佐賀長崎の陶磁器商組合の連合会)に輸出組合加入の希望者があれば推薦する旨連絡していた。それがこの数日間に五十名近く希望者がいるとの事だった。そこで十月十八日、満鮮会員と希望者全員との会合を物産陳列館で開いた。そして、全員約七十名で肥前陶磁器輸出協会を結成、理事長に松本哲雄、常任理事に山口兵太郎、理事に椋露地嘉八、小山鉄次、金ケ江照次、山口秀雄を選任したのである。
 なお、とりあえず全員は神戸組合に加入するが、近い将来神戸組合から独立して西日本陶磁器輸出組合を結成すると決議した。だが、小倉の東洋陶器は本部を有田とする事に反対して門司を主張した。それに連合会本部では近い将来に単一組合に改組する方針を立てていたので、実現しなかった。事実昭和十六年には日本陶磁器輸出組合に統合されている。

 この年の十二月、有田陶磁器錦付工業組合(理事長諸隈貞治)の日陶連加入が決定した。現在組合員五十三名で金箔、金粉などの原材料の共同購入を行なっていたが、今回これらの原料が日陶連の切符制での一元的配給となったので、この新情勢に即応する為日陶連に加入したのである。

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