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| 巻頭エッセイ 有田取材の思いで | 村田喜代子 |
古伊万里が好きで、いつかこれらの焼き物の窯のことを小説に書きたいと思っていた。その話を文芸春秋の編集者にすると、ではとにかく有田へ行ってみましょう、ということになった。昨年春のことだ。私は初期伊万里の厚手で粗放、おおどかな味に引かれているが、おいそれと買える値段でもなく、陶片も手に入らない。せめてそれらを生んだ土地のことを調べて何か書けたらと思ったのだ。その年の四月、いよいよ有田を訪ねた。 |
最初に九州陶磁文化館や有田町歴史民俗資料館へ寄り、近くの李参平碑に詣り、泉山磁石場も覗いた。今も記憶に残るのは閉鎖された採掘場の、昔の時間が止まったままのようなカラーンとした広場と洞の闇だ。陽射しが降り注いであたりは明るく、そのぶん磁石場の異様な静けさが怖ろしいくらいだった。 翌日は大川内の無縁陶工墓地を探して行った。そこで苔生す墓石の文字を一つ一つ判読していくうちに、ふと初期伊万里を焼いた渡来陶工たちのその後はどうなったのかと素朴な疑問を抱いた。ひしめき含って林立したおびただしい無縁墓に刻まれた文字には、朝鮮陶工とおぼしい人名は見みあたらない。 |
| 忽然と16世紀の有田窯業史に登場して、いつのまにか李参平の他は名前すら残さず消えて行った彼らはどうなったのか。そう考えたとき、頭の中に立ち上がるものがあった。渡来陶工の名前の残る史跡を探そうということになった。それから稗古場の報恩寺を探して百婆仙の墓を見つけご住職に話しをうかがった。 百婆仙は有田の渡来陶工達を束ねた有力な女性窯焼きで、96歳で亡くなったという。その墓もまた日本式で、いわゆる朝鮮の土饅頭型ではない。その時私は鍋島藩の殖産業として隆盛した歴史を思い返し、彼等が帰化の道を辿ったことに気づかされたのだった。今は遠い過去の話であったが、百婆仙の墓も、無名陶工の墓も、泉山磁石場の暗い洞もまだ春の陽に息づいていた。 2泊3日の駆け足の取材旅行から帰ると、新しく書く作品の目鼻がぼんやり生まれてきた。題名は「龍秘御天歌」とした。 |
李朝朝鮮の栄華を記した古書「龍飛御天歌」の飛の一字を秘に変えた。李朝の栄華から遠く、異国の日本に渡って有田窯業史の礎を築いた彼等は、文字通り秘めたる龍の末裔だろう。 その思いで書き上げた本が一年後のこの5月に文芸春秋から単行本となった。江戸時代初期から中期の考証について、不案内の部分で有田町歴史民俗資料館の助言を頂いたのも思い出である。そうやって書いたが、作中の人物や地名などはすべて架空とした。いつも小説を書いて感ずるのは、何ほどかの取材と調査で作り話を書く恐ろしさだ。それが史実と現実の大切な何かに傷をつけてはならないという思いで、いつも架空の土地と人物を作って仕上げるからだ。 あれから一年。今度は取材を離れて、また古伊万里の故郷の土と風の匂いを嗅ぎに行きたいと思う。 (芥川貰作家)
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昭和20年、北九州市八幡に生まれる。現住所は福岡県中間市大賀2-1-1。60年、自身でタイプ印刷した個人誌「発表」を創刊。62年、少年少女と老女の心の交流を描いた「鍋の中」で第97回芥川賞を受賞。平成2年、「白い山」で女流文学賞、 4年、「真夜中の自転車」で平林たい子賞、9年、「蟹女」で紫式部文学賞、本年6月、「望潮」で第 25回川端康成賞をそれぞれ受賞した。また、本年5月、渡来陶工の気賃や美学をテーマにした長編小説「龍秘御天歌」を文芸春秋社から上梓した。 | ||||||
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