*横尾謙(謙吾)
字は子益、号を介石といった。大樽の酒造家で柞灰(いすばい)請元であった川原善之助の次男で、士分株横尾家を取得して名を謙と改めた。幼少より谷口藍田に師事した。 |
明治初年から兵庫県庁に勤務し、同16年ごろ有田に帰り、「有田陶業史」、「日本陶器史」などを著した。同20年刊の「制度考」も彼が著したものと推察されている。(ブック・ガイド30参照)。32年から38年までの6年間有田町長を勤めた。明治39年9月25日71歳で死去。 |
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佐賀県廰西に距る
有田のさとは今こゝに
人口五千五百にて
其なりはひを營めり
百二十軒赤繪家は
限りなりしを明治年
人の權利を妨けぬ
次第に繁盛なせしより
其數限りなかりけり
朝鮮陣の其時に
金ケ江村の李参平
焼物造り始めしに |
移りし有田の亂れ橋
今の有田の地に來り
盡せぬ石の泉山
田中村てふ稱へあり
つどひ來りて月に日に
百田深海岩尾など
扨赤繪屋は伊萬里津の
來泊人に教へられ
未だ成らぬをこん限り
あまた年月工夫して
賣渡せしが此里の |
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十有一里十餘町
戸数千百七十四
人皆陶器の産をもて
さて窯焼の其數は
十六軒とおほよそに
王政維新のそのはじめ
ならひとなりて貿易も
御代の祭りと諸共に
むかし文禄慶長の
まつろひ來つる韓人の
小城の郡の多久村に
良しき土のあらざれば |
漸く谷間にさかのぼり
始めて得しはいつまでも
其頃有田は深山にて
其後追々人民も
今の繁華となしつらむ
みな韓人の末ぞかし
東島氏が長崎の
喜三右エ門に傳へしが
呉須權兵衛と共々に
終に發明なしつるを
異國通商のはじめにて |
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實に正保の三つの年
始つころの事となむ
吉太夫など長崎に
僅ばかりのことなるを
大商法を超せしは
その後安永年中に
此時有田の赤繪家は
人には傳へざらましと
いとも嚴かなりしとぞ
其數限りありつるは
天保年中壬の
久富與次兵衛色々と |
支那に通商なさんとて
終に開けし貿易は
そが中興とぞ稱へらる
昔寛文のころとかや
江戸の商人伊萬里屋の
陶器を頼み造りしに
心に叶ふものもなし
喜右エ門にてありつるが
仙臺侯に贈りけり
ついに大内へ捧けしを
器なるにぞ其後は |
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壬辰のみなつきの
それより追々長石エ門
通ひて貿易なしつるも
茲に名高き富村が
後故ありて打絶えぬ
焼物つくり始めしが
其方法を天草の
十六人の同盟は
それより長く十六と
この故とこそ知られけれ
辰の年より中野原
カを盡し和蘭や |
つとめ勵みし甲斐ありて
年月長く榮えゆく
禁裡御用のそのはじめ
仙臺藩の伊達侯が
五郎兵衛といふ人に
二とせ餘り止まれど
その頃辻は三代目
其造りたる物をもて
其品所々に傳はりて
其滑らけき潔きよき
絶えず大内へ貢げとの |
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命せ賢こみ年々に
その孫喜平次安永の
常陸の掾に拝命す
陶器造りに名を得しが
名に顯はれし陶器職
此の喜平次の發明ぞ
積み重ぬるも其昔
追々天秤とちみもて
様ざま工夫に工夫して
百田辰十始めけり
殊に花瓶の製造も
酉の六月皐月より
博覧會に持出して |
名誉の賞をとりたるは
その製造の主はこの
家永熊吉なるぞかし
日耳萬國のワグネール
發明せしも多かれど
成らざることも又多し
極めてよき製法の
日進月歩の科學こそ
工業學をまなばずば
名猶暗闇の手さぐりぞ
我皇國の産物を
國の為にも利をおこし |
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捧け來りし辻氏の
庚午てふ六月に
喜平次世にも勝れたる
今たゝへなす極真は
玉の器の極眞は
扨又陶器を窯に入れ
ひら一面に並べしを
又其上に積み重ね
二段天秤なるものは
今此明治の頃よりは
多かる中に葵の
墺太利に始めたる
各國諸邦に名も高き |
六尺有餘の花瓶なり
白川山の人にして
もとより有田の焼物は
來られしより色々と
留まる月日僅かにて
そのもと石の質分は
まだ至らぬをいかにせん
此焼物の基なれや
如何に工夫をなしつるも
もとをたゞしていやましに
世界の上にかがやかし
かねて有田の名を揚げよ |
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| (1) |
五郎太夫祥瑞
伊勢の国大口村の伊勢五郎太夫のこと。明末に中国で陶技を習得、有田付近で製陶に従事したともいう。 |
(7) |
伊萬里屋の五郎兵衛
伊達氏の命で有田で磁器を買いつけ。 |
| (2) |
東島氏
徳右衛門。伊万里の陶商。長崎で中国人から赤絵付の技を学び喜三右衛門に伝授。 |
(8) |
喜右衛門と喜平次
「辻家時代書」に、3代から5代までは喜右衛門、6代から10代までは喜平次と名乗ったとある。 |
| (3) |
喜三右衛門
後に柿右衛門と改名。濁し手の技法創始。 |
(9) |
百田辰十
泉山の窯焼き。 |
| (4) |
呉須権兵衛
喜三右衛門と赤絵を研究。呉須について精通。 |
(10) |
平林伊兵衛
伊平。大樽の窯焼き。碍子を開発。有田町長。 |
| (5) |
長右衛門と吉太夫
共に中ノ原の陶器商。長右衛門は藤本。 |
(11) |
田代慶右衛門
田代絞左衛門の弟。焼き物の輸出で活躍。 |
| (6) |
仙台侯
伊達綱宗。辻喜右衛門の製品を朝廷に献上、辻窯が宮中御用達になる端著を作る。 |
(12) |
深川の卯三郎
8代深川栄左衛門の女婿。 |
(なお「長崎の県庁」とあるのは明治9年5月に佐賀県域が長崎県に併合されていた時期(16年5月に再置された)をいう。また日耳曼国は、Germanの音訳でドイツ国のこと。)
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▲昭和11年5月、有田商工会発行「陶都有田」のパンフレットより
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