目次へ 戻る 45/57 次へ

皿山遠景・III 松の内に有田の女たちは
欠かせぬ蓬莱台の飾りつけ
カット: 柴田コレクションから
*正月が来ますと、有田に住む女たちが忘れてならない飾りものがあります。

「蓬莱台」、別の名を「手懸け盛り」ともいう床の間の飾りものです。「(先祖)代々このところに住みつく」という意味のある大事なもので、子だくさんとやりくり上手を願う心持ちも加わります。その飾り方は、まず大きめの三方に奉書を敷き、ウラジロ、ユズリハ、コンブを垂らし、その上に九合九勺の米をこんもりと盛ります。その米の上につぎの品々を格好よく置きます。葉が茂ったダイダイ。根がたくさん伸びているヤマノイモ科の*トコロ。白紙で包んだ木炭。
サトイモの一品種で大きな角のような白く太い芽をもったヤツガシラ。さらにクリを八個。

九合九勺の米は「満つれば欠ける」、または「控えめに」ということでしょうか。ダイダイは代々にかけてあります。トコロは場所を表し、できるだけ四方に根を張っているものが良いのです。木炭のスミは住みつくにかけてあり、トコロとしっかり水引でしばります。ヤツガシラは子どもが大勢生まれるようにと立派な芽が上を向いたものを準備し、目立つように中心におきます。栗八個を均衡よく散らすのは、やりくり上手の意味らしいのです。家によっては紙に小さく包んだ清めの塩もおきます。

ヤツガシラ、トコロは見かけのよいものを手に入れるため、ずっと前から農家や八百屋に相談しておきます。「手懸け盛り」というように本当に手がかかるものです。

旧家では正月には「蓬莱台」を床の間に飾り、「としとくさん」(歳得さんか歳徳さんか)と呼ばれる掛け軸をかけました。長頭短身、ニコニコ顔に中国風のきものを着た、七福神の一つである福徳の神様*福禄寿。寿老人ともいわれるおじいさんの絵です。絵師によって寿老人が手にしているものなどはみな違います。今も伝統を守り続ける家庭では、年頭にこの掛け軸を中心に日の出や先祖の絵姿などを掛け、鏡餅や屠蘇飾りを置き、「蓬莱台」に手を懸けたあと、かしわ手をうってわが家の繁栄や家内安全を祈るのです。
いつごろこのような習慣ができあがったのか。今では誰にも分かりません。第2次世界大戦の時にこの風習は衰えましたし、いまでは人々の心も変わって、次の世代へ引き継ぐことも難しくなっています。

「古くからある事を残すということも、やはり故郷を美しくする手段の一つである」といつか聞いたような気がするのですが。
(山中和子)
写真: 床の間の飾りもの
▲正月の床の間の飾りもの

写真: 歳徳さんの掛け軸
▲歳徳さんの掛け軸
写真: 蓬莱台
▲蓬莱台

*皿山の正月その1
窯元や焼き物を商いとする家の正月料理(次項参照)は、忙しい主婦の手をわずらわせないように、つとめて簡素なものになっているが、新年を迎える行事のほうは、一般の家庭よりも格式ばった風習が残っている。日ごろ窯元では火を扱い、商人の家では主人が行商で家をあけることが多いため、何かと神仏の加護を祈る事が多かったことによるものだろう。

蓬莱飾りや神棚・荒神さんへの数多いお供え餅など、神仏の加護によって家業をさらに繁盛させたいと願う風習がいまも続けられている。

「長崎事典〜風俗文化編」によれば、蓬莱飾りは長崎では「手掛台(てかけだい)」として年賀の客に出したという。また、有田では今日ほとんど見られなくなったが、昔は正月の祝い膳に生イワシを出した。これまた長崎にも見られる。イワシの繁殖力の大きさにあやかって子孫の繁栄を願う意味合いと、ぜいたくをいましめたものといわれている。


*皿山の正月その2
次項に明治44年1月9日に有田を訪れ、この町にはロクな料理屋はないという意味のことを書いた「西肥日報」の記者のことが出ている。この記者は正月気分の抜けやらぬ時期の皿山の風景についても触れ、午前9時を過ぎても戸をあけない家が多いことに驚いている。そして、「正月の休業が長いそうだから町内には数百の職工が入り込む筈なのに、稼ぎに出るそんな風の男女は一人も見受けない。人通りも極めて少数」と述べている。それにしても、寂しいほどの皿山の風景である。
記事にはまた、大きな工場も僅かの職工しか出ていなかったのは「昨夜年中の給金定めがヤッと埒明いた」ためで、明日から仕事始めとなることが記されている(仕事始めのことは「窯焼きは世話焼き」の項参照)。昔は元旦から15日までを松の内とし、後に7日までになるのだが、それとは関係なしに、正月休みが長かったのは新しい年の賃金を決める交渉が長引いたためであるらしい。皿山は不況だったのか。

*トコロ(野老)
ヤマノイモ科のつる性多年草。原野に自生する。娘茎は太く、ひげ根を多数出すことから、これを老人のひげに見立てて「野老」の字をあてた。有田では文政の大火で食べ物が底をついたとき、この野老を食べて飢えをしのいだといわれる。その言い伝えがあるためか、苦みのあるこの野老を食べて初めて皿山人の仲間入りができるとされた。

*福禄寿と毒老人
この2神は同体異名とする説もある。近世以降は代わりに吉祥天(きちじょうてん)か猩猩天(しょうじょうてん)を配することもある。

目次へ 戻る 45/57 次へ
Ads by TOK2