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No.54
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病気になれば 鳴り物入りで追い払う |
| 今から230年前の「皿山代官旧記覚書」に、次のような記録があります。 「現在(明和7年・ 1770)有田郷に医師がおらず、急病人が出たら、治療も間に合わない。これではいけないので内外山の庄屋とも相談し、薬札の銀高(謝礼)も決めて、家毎に分担してもらい良い医者を有田皿山に居てもらうようにすべきである」と。このように申し合わせたものの、皿山に医師がなかなか居ついてもらえませんでした。 当時、有田皿山の入口に関所があったのですが、長崎往来の医師が入り込んで来ては、高い家薬(自家製の薬のことか)や妙薬を売っていました。 それから60年経った文政12年(1829)、ようやく鹿島より「元甫」という医師が有田に住み込むようになりました。元甫医師は実に篤実な方で、困った人にも施薬をして、親切の限りを尽くされたそうです。ところが間もなく、元甫の兄、四郎兵衛が鹿島に戻ってくるようにと皿山代官に申し出ます。 一方、皿山には祈祷(きとう)によって病気を直すのも流行っていました。霊感の強い御言伝宜者(ミコトモチ)によって神意を伝えるのですが、それが鉦や太鼓などの鳴り物入りで病気を追い払うというものですから、街の中は大変賑やかなものとなりました。 皿山代官は、鳴り物入りの場合は代官所に届けてからするようにと注意をしております。 |
また、 「願掛け」 「願成就」も鳴り物入りで、願成就には酒宴となり、喧嘩がつきもので陶磁器作りに支障をきたす程であったそうです。 降(くだ)って大正11年、有田町で「松浦陶時報」が創刊されています。この新聞の中に、当時の小林歯科医が「虫歯予防の1円は治療の100円に勝(まさ)るとして、金の入れ歯を全国5千の歯医者が1ヵ月平均10匁使うとして1年間で6百貫となり、その価格は3百万円の巨額となる。これは佐渡金山の産出量では足らず国家的重大問題である。このようなことから歯の手入れを普段から充分にやりなさい」と説いておられます。 また、その頃トラホームが流行っていました。それを予防するために鴨緑江節で次の予防宣伝歌がありました。 「トラホーム家内に出れば/はや気を付けよ/手拭い・ハンカチあの風呂の中/ヨイショ/油断する間にヨイコリャ/皆うつるよ/移るりゃ、また迷惑身の要心チョイ・チョイ」 大正11年の「松浦陶時報」の医院の広告は次の通り。(1)久米医院(幸平) (2)小林歯科(幸平) (3)正司医院(岩谷川内) (4)船津歯科(赤絵町金毘羅神社下) (5)山崎医院(本幸平) (6)宮崎歯科(上幸平)で、大正14年になって桑古場に渋川医院(のち有田医院)、坪井歯科(稗古場)、福田医院(中の原)があります。 (久富桃太郎) |
| 有田町史「通史編」によれば、文政12年(1829)有田郷の村々で流行病が発生した時、皿山で子供踊りを奉納すると立願して大きな災厄を免れた。 それで八幡宮の祭礼の時に子供踊りを奉納したが、藩が許可しなかった。これを聞いた皿山では、願成就の子供踊りを奉納しなければ、どのような神罰を受けるかもしれないという不安にかられ、仕事も手につかない状態になったと書いてあります。 |
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