| 01/04 |
No.65![]() 「倹法冨強録」全5巻 |
| 江戸末期より明治初期にかけて、有田では8代深川栄左衛門をはじめ深川忠次など窯業界で活躍された素晴らしい方々がいますが、教育界でも正司考祺・谷口藍田・江越礼太など先駆者がいます。今回は正司考祺翁につき紹介いたしましょう。 正司考祺旧宅は有田中学校の山手にあります。考祺は寛政5年(1793)の生まれで、呼び名を碩渓と言っていました。呼び名は猿川の渓流から名付けられたと言われています。考祺は読書を好み、伝記を始め中国の古典に通じておりました。 文政11年(1828)有田大火の折には私財を投げ出し救済に当っています。当時は有田千軒と言い、焼け残ったのは岩谷川内40軒、白川100軒、泉山10軒といわれています。 |
考祺は、天保2年(1831)「経済問答秘録」30巻を著していますが、この中で「経国済民」(国を経営し、治め、民を助け救う)にはどうすればよいか、そして教育の大切さを説いています。家庭にあっては親子相争い、嫁と姑が旨くゆかないと嘆いています。 翌天保3年(1832)に「倹法富強録」を著しました。この中で鍋島藩が財政に苦しみ、借金までしてやりくりをしている。これを救うためには藩そのものがムダを廃止し、節約をし、特産品を創り出して経済力をつけないといけないと説いています。 そして住民は、気のついたことは、どんどん意見具申をし、皆んなで藩の立直しをしないといけないと説いております。 |
| これを現在の日本に当てはめると共通しているところが多くあります。 現在、日本の税収は年間42兆円、国債の年間発行額40兆円、合計82兆で、財政を賄っています。 一方、国債、地方債の借金が939兆円、それに特殊法人の不良債権100兆円を加えますと1000兆円の借金、それに国債などの利子支払が年間21兆円あります。 先述の私達が支払う税金が42兆円でしたから、その半分の21兆円が借金の利子として支払っているのです。 余りにも数字が大きすぎるので、国民1人当りに換算してみましょう。 |
年収420万円(月35万円)の人が、400万円の借金をして、820万円(月68万円)の生活をしている。この借金がつもりつもって1億円になり、その借金の利子として210万円(月175千円)を支払っている計算となります。 今から170年程前に、考祺が藩の財政窮乏のとき建白したときと同じような状態が、現在もあっているのです。考祺は、あの世で嘆いていることでしょう。 考祺は安政4年(1857)に65才で亡くなりますが、間もなく没後150年となります。先人の教えを、いま一度ひもとくことも大切ではないかと思う次第です。 (久富桃太郎) |
| 正司考祺については、有田町史・政治・社会編I、通史編のほか、福岡博氏「佐賀・幕末・明治500人」(佐賀新聞社刊)。秀村選三氏「近世後期の経済思想家・正司考祺著『倹法冨強録』」。松本源次氏「炎の里・有田の歴史物語」。中島浩氣「肥前陶磁史考」で紹介されています。 |
| 01/04 |